Fukushima Fifty を見て。

自分を変える。それは今までやっていない新しい事を取り入れ、不要になったものは捨てる。やり始めた事が習慣となり、やがて意識しなくてもその振舞いが当たり前の事となる。しかし自分の意識の中で、自分自身が変わったと気づく事は難しい。自分に自分の姿は見えない。きっと最初に気づくのはまわりにいる人達だと思う。だから自分の持っているものは惜しみなくまわりの人に積極的にアピールすることだと思う。遠慮したり、怖がったり、はずかしがったり、そんなものはいらない。今の自分はすこしは変わったのだろうか?

映画、Fukushima Fifty を見てきた。2011年3月11日、東日本大震災と大津波、そして福島第一原発事故の発生、あまりに想像を超えるような出来事、津波を被った原子炉は全電源を喪失しコントロール不能な状態に陥った。そんな絶対絶命な状況に陥りながらも原子炉の爆発という最悪の事態を回避できたことはまさに奇跡であり、その奇跡を引き寄せたものは自らの死を覚悟し、故郷や家族を守るため最後まで諦めず、神が与えたあまりにも過酷な任務を果敢に遂行した現場従業員の活躍であった。日本に放射能の雨が降り日本が世界から陥没する事態はかろうじて免れることができた事で今の日本がある。オリンピックという晴れ晴れとした祭典と福島の復興。しかし廃炉が決まった福島原発の持っている危機的な状態は今も変わっていない。僕たちはあまりに大きすぎるこの問題から次第に目をそらし、忘れようとしている。

福島県相馬市。僕の母の故郷。子供のころお正月の帰省先は相馬市だった。つきたてのお餅を食べたり、いとこ同士が集まっていっしょに遊んだりそんな楽しい思い出があった場所。

書いているうちに話をどこに落としたらいいのかわからなくなってしまった。いつも思いつきで書きはじめるのだが、テーマが大きすぎたみたいだ。消してしまう訳にもいかないので、今日はこのまま終わりにします。