休日の予定

このブログを書き始めて今日が90回目の投稿。ずっと続けている人からみたらまだまだ駆け出しのブロガー。平凡な日々をどう切り取ってやろうか。容赦なく襲い掛かってくる睡魔を振り払い今日もPCを叩く。昨日は僕の完全な敗北。夜9時前に食事をした後に僕は何かに引き込まれるように床にひいてある薄いマットに横になった。自分の意思とは反するように体がマットに吸い付いて離れない。わずかな時間がたった隙に僕は睡魔に意識を奪われた。時間の感覚が消え、気がついたときには時計の針は12時を指していた。硬くなった体をゆっくりと動かし、自分の体をもち上げた。一旦、近くのテーブルに並ぶイスに腰掛けたが、まだ頭がはっきりしない。どうにもならない強靭な睡魔に逆らう意思はなく、降参の旗を掲げ僕は2階のベットに入りこんだ。どうやら僕には休日が必要らしい。そんな事情で明日からの3連休は山にこもる計画でいる。天気はあいにくの予報だが、山小屋で静かに本の世界に入り込むのも悪くない。鳥の鳴き声や雨音を聞きながら、ゆったりとした時間を過ごすつもりだ。なのでブログもお休み。何もしない、何も考えない。そんな瞑想のなかで心と体を整えてきたいと思う。(おわり)

ラジカセのある風景

7月となり、今年も半分が過ぎてお盆がやってきた。お寺で見つけたのは昔懐かしの四角で大きなカセットデッキ。年代物だが、その当時ハイスペックを誇ったであろう堂々した風格を僕に見せつける。直径10cmはありそうなメインスピーカーと高音スピーカーを配備した4way stereo system、FM用のアンテナを2本装備。上面にはイコライザーとみられる調節ツマミがズラッと並ぶ。最高級と呼ぶにふさわしい装いに僕の胸は熱くなった。中学の頃、音楽に目覚めた僕は休日となると朝からラジオの前で、歌謡曲や洋楽のヒットチャートを追いかけていた。大好きな音楽をできるだけノイズの少ない良い音で録音したい。近くの電気屋さんが家に置いていったオーディオのカタログを見てはそのカッコよさに熱くなっていた。カセットテープに自分の好きな曲を録音できるだけてすごく画期的な出来事だったけど、今日のようなデジタル社会が訪れるなんて想像もできなかった。そんな年代物のラジカセは今も現役で、住職がお経を読む際のマイク拡声器として使われていた。自分の部屋にぜひ置いてみたい。ふと気付けば僕はお経の最中ついウトウトしながら、昔、夢中でラジオに耳を傾けていた自分を思い出していた。(終わり)

寄り道の風景

韮崎から静岡方面へ向かう街道沿いにある道の駅。車を止めて木陰に設置されたベンチで休憩をとる。ひとりの時間を持て余さないように入れておいた本をカバンから取り出した。梅雨らしい曇り空ながらそよいでくる風が気持ちよい。まわりの山々からあふれだす自然な香りを深呼吸して手にした本を読みはじめた。最近始めた図書館通いでこれまで読んだことがなかった村上春樹の「海辺のカフカ」「ノルウェーの森」の上下巻4冊を借りた。先の海辺のカフカは読み終え、ノルウェーの森も終盤を残すのみだった。外の空気感が、なんとなくこの物語の雰囲気にあっているように感じられ、いつもより本の世界に集中することができた。僕はこの小説にでてくるギターが上手なレイコという女性が好きだ。本から音を聞き取ることはできないが僕はボサノバ調にアレンジされたビートルズのメロディーを勝手に想像しながら彼女が弾くギターを聞いていた。最後まで読み切って腕に付けた時計をみると約1時間が過ぎていた。本の世界から戻り自分がいる場所を確認したら空がすこし明るく見えた。今日はちょっとした寄り道だったけど、今度はもっと深い森の中でこの本を読んでみたいと思った。(終わり)

今日はプールに行ってきました。

水中から息継ぎのため顔をあげ、一瞬、外の光を見上げるとまた水中に顔を鎮める。苦しくなってきた呼吸を抑えながらブクブクと息を吐き、また顔をあげる。プールサイドまであとすこし。手を伸ばし、やっとの思いで泳ぎ着いた。今日は平日、人もまばらなプールはとても静かだけど、僕は水の中で息継ぎがうまくできずにもがいていた。しだいに息があがり呼吸のペースが早まる。あとすこし。あとすこし。そんな繰り返し。十分に疲れ切ったところで僕はプールから出た。家に帰って窓を開ける。横になりひんやりした空気に吹かれていたら泳いだあとの脱力感が全身をつつみ、まぶたも重くなってきた。夕方になって空一面を覆っていた雲も流れて外が明るくなった。この時間の昼寝がいちばん気持ちがいい。疲れた体を伸ばしてひと眠りしている間に外は薄く暗くなった。普段なら残業でまだ会社にいる時間。かけ離れた時間を過ごし夜を意識したら普段と同じように時間の流れが気になり始める。あしたも休みだったらいいのに。時間とともに僕らは毎日を暮らし、時間への意識が時にあせりやイライラを呼び起こす原因となる。時間に対する意識をどのように持つべきか、これは充実感をもった生活を送るため大きなカギとなるものである。泳いでいる時間、そこに他の意識が入り込む余地はなく、僕はただ水中での泳ぎだけに集中している。そこに時間への意識は無い。今日はいい時間を過ごせたと思う。(終わり)

擬態

扇風機の音だけが回る部屋でふと目を覚ます。うかつにもしばらく眠ってしまったらしい。生ぬるく湿った風が僕の耳元を通り過ぎていく。目覚まし替わりに軽い筋トレをしてお風呂に入った。今日はこのまま寝てしまおうか。そんな誘惑を振り切るように今日も僕はPCの扉を開けた。ここまで書いてみて指が止まる。しばらく休止していたため題材が浮かんでこない。すると、ある日雨あがりの日に家の壁に張り付くカエルを見つけた事が頭に浮かんできた。ベージュ色の壁に擬態した白いカエル。その形からよく見る小さなアマガエル。普段はたぶん緑色だけどその擬態した姿に僕はとても驚いた。詳しいメカニズムはよくわからないがまわりの色を感じて意識的に自分の皮膚の色を変えることができるとはものすごい能力だ。人間の世界で考えればそれは洋服を纏う事と同じなのかもしれない。ひとそれぞれに違う洋服を着ているように見えて遠くからみれば、それはその社会の求める姿に溶け込むための装いなのかもしれない。あまりにその社会から外れた姿でいればまわりから攻撃を受ける。人間同士でも争いをさけるため自分を隠しながら擬態している。そんな自分の姿かもしれないカエルの姿をカメラに残したつもりだったのに、その写真を見つけることはできなかった。このカエル、きっと写真の中でも姿を変えひっそりと息をしているのかも知れない。(終わり)

再開。もうすぐ夏なので。

しばらくぶりにPCを開けてみた。それほどの長い間、僕はこのブログの世界から遠ざかっていた。

理由はただ単純に仕事が忙しくて手が回らなくなったから。時が経つにつれ次第にPCを開けることさえ億劫になっていたが、今日からまた創作をしていきたいと思う。

ブログから離れていた間、すこし取り組んでいたことが、本を読むという事。速読法について以前から興味があって何度かトライした事があってか本屋さんで「瞬読」というタイトルに目がとまり、つい購入してしまった。この本、読んでは見たが速読をマスターすることの利点は多く解説していたが、そのメソッド自体はあまり書かれていなかった。さわりの部分だけ説明して、もっと知りたい、効果をあげたい人はセミナーに参加してくださいみたいな宣伝主体の内容だった。実際に速読をマスターした人の速読する姿を画像で見ることができるが、これがすごい。ページをただペラペラめくるだけの速さでその内容を理解するというのだから驚きだ。300ページくらいある通常の本を3分ぐらいで読み切ってしまう速さ。正確に言うと「読む」という行動ではなく「見る」という作業をしていることになる。開いたページ全体を見てそこに書かれている内容を理解すると言う。実際に練習をしてみたが、ぼんやりと文字自体は目に飛び込んでくるが内容を理解したという実感がない。先ずは練習。本棚にある1回読み終えた本を10冊ぐらい重ねて読み始める。立ち止まらないようにただ見るだけ。文字も上から下まで目線で追うことはせず、行全体を見るように本との距離を調整してコピー機がスキャンしていくようなイメージで平行に目線をずらしていく。数秒で見開き2ページを見終わり次のページに移る。1日15分から30分ぐらい、読書の時間をとるようにしている。瞬読なので長い時間はいらない。朝10分、夜10分、それぐらい。できれば10分で1冊を見切るようにしたいが、長編小説となるとそうはいかない。10分100ページぐらい。それでも2日で1冊読めることになるので、本の数は大きく増えることになる。家にある本では足りないので図書館に行って本を借りてくることにした。速読自体は満足に習得するには至らないが、本を読む習慣づけはできた。今後はこうして目を通した本の内容もアウトプットしていきたいなと思う。

どうにか今日はブログを書き込む事ができた。またここからスタートだ。(終わり)

群れからはぐれた狼の話

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忙しかった日々を終えて朝のジョギングに向かう。前方に2匹のかわいい子犬を連れた男性の影。どちらかというと僕は犬は苦手だ。ペットを飼った事がないので犬とじゃれ合うという事をやったことが無い。いつ吠えられるかもしれないという警戒心を持ちながら、飼い主の男性に挨拶をし、足早に追い越していった。となりに住んでいるポチは僕の顔を見慣れたせいか、ようやく僕に向かって吠えなくなった。人といっしょに生活するようになった犬。人と犬との交流は長い時の流れの中でどのように深まっていったのであろう。歩きながらTVで最近見た、犬の祖先とされるオオカミの話を思い出した。

はるか昔、まだ人間が狩猟を始めたころ、この世の中に現在のような人間といっしょに生活する犬のような動物は存在しなかった。わずかな農作物を食べていた人間にとって大きな肉食獣の食べ残しはめったにないご馳走だったが、それを背後から狙う獣がいた。その代表が狼だ。人間と狼はご馳走を取り合うライバルでいつも争っていた。群れで生活する狼の中で、チカラもなくおとなしい狼は食事にありつけることができずに群れから取り残されてしまう。そんなおとなしく弱い狼が生きるために選んだ場所が人間のいる村だった。人間に近寄って人間の食べこぼしを拾うようになった狼。最初は警戒し、追い払っていた人間もその一方で狼が自分達の作物を狙ってやってくる小動物を追い払うのに役立つ事を知ると人間も村にやってきたおとなしい類の狼を受け入れるようになった。そして同じようなおとなしい狼同士が種を次の世代につなげることでその本能は次第に変化し、現在、人間に飼われているような犬という種が生まれたという。人間と暮らすことを選択した犬たちはやがて人間が要求することを理解し、人間を喜ばせる行動を行うまでに進化した。群れからはぐれて行きつく場所なく死んだ狼も多くいたはずだ。人間との生活に順応できたごくまれな狼から犬への進化は始まったという。

今では人と犬は深い絆で結ばれ、互いになくてはならない存在になった。今日は休日。となりのポチはいつものように木陰に寝そべりながらのんびりと過ごしている。さあ、ごはんを食べよう。(終わり)