春の桃源郷を走ってきました。

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今日は新府桃源郷、一面に咲いた桃の花をプレゼント。

朝早い時間にランニングがてら撮影してきました。普段、車では入ることができない畑の中でスマホ片手に最高のアングルを求めて歩きまわっていたら来た道がわからなくなってしまいました。なので帰りは初めての道を自宅の方角を目指して探検気分。新しい道で、いつもと違った風景と出会う。そんな身近な楽しさを見つけるのが好きで僕は走っています。

外の風景は春、まっさかり。自然と気持ちも楽しくなるような。でも、なかなか明るい気分になれない場合もある。そんなときはどうしたらいいのだろう。その人がいる環境や抱えている悩みは様々、とてもひとつの話が当てはまるとは限らない。すべてにやる気が起こらない。でもそんな時こそ自分と向き合って小さな工夫をひとつひとつ試してみることが大事だと思う。思考が疲労してしまっている人の多くはたぶん睡眠に問題があり生活のリズムが崩れてしまっている。夜、寝る時間、または朝、起きる時間が決まってなくバラバラな状態で生活している。先ずは睡眠時間をしっかり固定して毎日、同じ時間に起きる。これは休日であっても崩さないように、とにかく毎日、同じ時間に起きる。落ち込んでいるときは何かにすがっても良くしたいと思っているわりには今の生活を改めるとなると突如、「私は無理」「やりたくない」という拒否反応がでてくる。その拒否反応とどう戦うか?それが今の自分を良い方向へ導くためのひとつのカギとなる。睡眠時間を守っても私が持っている問題は何も解決しない。そう思ってもやってみる。とにかく基本が大事。睡眠、食事、運動、誰もが知っている健康の3大要素。この基本と素直に向き合い毎日を生きてみる。朝、決まった時間に起きる。先ずはそこから始めてみよう。

(文章を書くとき、その内容は誰に向けて書いているのか?それをしっかり決めて、相手を想定して書くことが大事といいます。私自身、何気なく思いつきで書いている部分もありますが、その相手はやはり私自身だと思います。相手を通して今の自分を見ている。そして相手を励ますつもりで自分自身の事を励ましているのです。もし、共感する方がいたらいっしょにやってみましょう。)

休日、小さな旅

先週は家からバスと電車を乗り継いで北杜市長坂町の牛池湖畔で行われた桜まつりに出かけてきた。普段、めったに路線バスを利用することはないが、発着時間さえしっかり押さえておけばしっかり移動コうストを抑えることができる。本数が少ないので必ずしも自分の都合のいいようには行かないが、余裕を見てのんびり出かけてみるのもたまにはいいものだ。駅からは電車でおよそ20分、しばし山麓を走る電車の旅を楽しんだ。途中、ピンク色に染まった桃畑や桜並木を車窓から眺めながら電車は目的地の長坂駅へ到着した。

今から約25年前、僕と彼女はこの町で結婚生活をスタートさせた。久しぶりに駅前の風景に触れることができて懐かしかった。作られた建物は移り変わってもそれを取り囲む雄大な自然は変わることなくその美しさを見せていた。目の前に広がる甲斐駒の風景は春の青く澄んだ空におだやかな佇まいをみせていた。冬にはどんより曇った空から雪を降らし強い北風を浴びせてくる。そんな景色を見るたびに平坦な土地で暮らしてきた僕は何とも言えない怖さを感じたものだ。その日は久しぶりに春らしいとても暖かな日だった。懐かしい商店街の通りを抜けて僕たちは今日の会場である牛池に向かった。湖畔に咲いた桜と池に映る青い空。ベンチに座り買ってきたワインを開けた。こんなのんびりとした休日もたまにはいいものだ。これからは緑色ずく新緑の季節。もうしばらくはこんな休日が楽しめそうだ。

今朝のニュース。フランスのノートルダム大聖堂の尖塔が焼け落ちる映像が映し出されていた。パリを代表する多くの観光客が訪れる場所であり、多くの人がその現実に目を疑ったことだと思う。僕がこの大聖堂を訪れた日はその中で小さなミサが行われ讃美歌が静かに流れていた。ステンドグラスに囲まれたその場所は凛として気持ちが安らいでいくのを感じた。このような大聖堂に集うことがそこに生活する人達の生活の一部として心のよりどころになっているのがとてもいいなって感じた。そのような場所が火災により大きな被害を受けたことはとても悲しいことだと思う。長い月日、変ることなくその場所にあり続けて人々の生活を包んできた大聖堂にはいち早く再建の話があがっている。一日もはやい再建を願いたいと思う。

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牛池の桜

 

 

ギター弾きの独り言

僕はギターを弾く。ほぼ毎日。会社から帰宅して夕食を食べた後、30分から1時間ぐらい。これ以上長く弾いているとそれだけで1日が終わってしまうので時間が来たら止めるようにしている。僕は妻と二人暮らし。僕はTVがついているリンビングで練習曲が弾けるようになるまで毎日、同じ曲をつっかえ、つっかえ弾いている。1曲覚えるのに2、3カ月かかる。僕は譜面が読めないので、最初は見ながら弾いているが、最終的には指が覚えるまで毎日同じ曲を繰りかえす。いっしょに過ごしている方は毎日いい迷惑かもしれない。もしあなたの彼がギター弾きだったら注意が必要かもしれない。いっしょに過ごすようになった彼は、ギターばっかり弾いていて毎日、話はうわの空かもしれない。そして1台のギターでは満ち足りず2台、3台と高価なギターを買いあさるかもしれない。そしてバンド仲間とつるんでは飲んでそこでもギターを弾いているかもしれない。ギターを弾く男には気をつけた方がいい。

昨日見たTVである夫婦のピアノのまつわる愛の物語が紹介されていた。仕事に没頭し家族と過ごす時間がとれなかった夫、家事、子育てと夫を支える妻、そんな妻にとつぜん癌がみつかり残り余命わずか半年が告げられた。夫はこれまでの仕事優先の生活をあらため妻との残りわずかの時間を大切にするようになった。ある日、妻は昔を思い出しながらこんな一言を夫に言った。「あなた、約束を守ってくれなかったわね。」それは、二人が若いころ、いっしょにTVドラマを見ていたときの出来事だった。そのころ人気ドラマだった「ロングバケーション」、そのドラマの中で木村拓哉が演じたピアニストを目指す主人公が弾いていた曲が「セナのピアノ」という題名がついたピアノ曲。妻はその曲がとてもお気に入りだった。

そんなドラマに見入る妻に夫は「俺もピアノを弾いてこの曲をプレゼントする」と言ってしまった。それを聞いた妻も「それじゃ、約束ね」と笑って答えた。そのときは軽い何気ない会話にすぎず、夫は仕事の忙しさからピアノの事などすっかり忘れてしまった。しかし妻はそんな些細な思い出をしっかり覚えていた。そして余命わずかとなった妻から言われた「約束、守ってくれなかったね」という言葉はそれ以来、夫の耳から離れることはなかった。ふさぎ込みがちの彼女を心から喜ばせるには何をしたらいいだろう。そんな事を考えるようになった夫は「セナのピアノ」を弾いて妻にプレゼントしようと心に決めた。しかしこれまでピアノなどやったことがない夫にとってそれはかなり高いハードルだった。妻にピアノの練習をしている姿を見せるわけにはいかない。彼は妻に隠してピアノ教室に通う生活を始めた。一刻も早くピアノをマスターしなくては。しかし初めて習うピアノは彼にとって簡単ではなかった。教室に通い、あるときは会社を休んでピアノルームを借りて練習を重ねた。そして約束を果たす日がやってきた。彼はある音楽ホールを借りてそこに妻と娘を招待した。客席で待つ二人。そしてピアノが置かれたステージの前に彼は立った。彼は指の震えを抑え「セナのピアノ」を弾き始めた。「セナのピアノよ。私が大好きな曲」娘に話かける妻のその声はとても嬉しそうだった。たどたどしくも精一杯、彼が奏でる心がこもった旋律、彼は最後までその曲をやりきった。ピアノの先生も「初心者には難しいですよ」と念を押されたが彼はあきらめず、そしてやりとおした。練習しながら彼は思った。「ピアノより彼女のそばにいてあげる事のほうが大事じゃないか?」「彼女は喜んでくれるだろうか?」しかし彼は「妻との約束を果たしたい。きっと喜んでくれるに違いない」その一心で練習に打ち込んだ。演奏を終えて彼は客席の妻のもとへ。「ありがとう。あなた」彼の目の前には嬉しさに満ちた妻の笑顔があった。そしてその日から3カ月後、妻は天国へと旅立った。

妻の旅立ちからしばらくして彼は遺品の整理をするため彼女が愛用していたPCを開けた。画面にあるアイコンを開くとそこには、あの日、約束を果たすためピアノに向かう自分の動画が映し出された。決して上手とはいえない自分のピアノ演奏、しかし彼女は最後の時までその映像を大事そうに見ていた。そう、その演奏は彼女にとって最高のプレゼントだった。そして最愛の妻を失った夫が今もかかさず行っている事。それはピアノを弾くこと。ピアノを弾くこと、それは彼にとって日々、最愛の人の事を思う証となった。

楽器を奏でるとき、そこには誰かに伝えたい想いが宿っている。そしてこの先、僕もギターを弾き続けるだろう。もし、ひとりになる日が来ても、その音色は僕をやさしくつつみ楽しかった時に僕をいざなってくれることだろう。

記録。3月3日PM3時ゴール。順位27,847位。

メジャー歴史にのこる偉大なる記録を打ち立てたイチロー。彼が引退した数週間後に彼の自宅を訪ねてインタビューをしたNHKの番組を見た。シアトルの閑静な雰囲気の中にある白を基本とした建物、玄関を開けると広々としたリビングとそこに並べられた数種類のトレーニングマシーンが目に入ってきた。まるでスポーツジムであるかのような風景、その中でひとり黙々とトレーニングに励むイチローの姿があった。インタビュアーの到着に笑顔で答えるイチロー、リラックスしたその微笑みからは大きな仕事をやりきった安堵の様子が感じられた。「本当に体を動かすことが好きなんですよ。じっとしていられない性格なので」トレーニングは彼の日課でありそう簡単にはやめられないようだ。取材を終えた後、今度は外へランニングに出かける彼。取材のために構成された内容だとわかっていても彼らしい自然な姿に見えた。きっと今日も彼は走っているに違いない。それは自分の中に沸いてくるすこしでも前に進みたいという欲求を満たすため。もっと遠くへ。

 昨日、東京マラソン完走の記録証が届いた。今大会は37,568人が出走、35,431人が完走した。完走率は94.31%。これは大会始まって以来、2番目の低さで今回のコンディションがいかに厳しいものだったかという事を表している。天候は雨、気温は5.7℃。春の期待を裏切る真冬の寒さだった。その中で私の成績は記録5時間49分01秒、総合順位27,847位だった。スタートは朝9時10分だったので、ゴールした時間は14時59分01秒。  当初、午後3時きっかりにゴールして3月3日3時の3並びの記録を作る予定だったが、その誤差、59秒。実におしい。走っている間はゴールする時間なんてまったく意識になかったが、ここまで寄せてくるとは本当にまったくの偶然。きっと応援してくれた人達の想いが私をゴールまで運んでくれたのだと思う。

東京マラソンは世界6大マラソンにエントリーされる国際大会なので外国人ランナーも多く参加しており約38,000人の総合エントリー数に対して日本人のエントリーは29,700人で78%、22%を外国人ランナーが占めている。参加率が高い国はアメリカ、中国、台湾の3か国で外国人ランナーのおよそ半分を占めている。しかし驚きなのはハワイで毎年行われているホノルルマラソンの日本人ランナーのエントリー率。こちらは総合エントリー数、約26,000人に対して日本人ランナーは約11,000人で約40%を占めている。これはマラソンという競技が日本人に広く浸透していてその熱の高さを想像することができる象徴的なデータだと思う。まあハワイに住んでいる人達からすれば、遥々、常夏の楽園ハワイまで来てなぜそんな苦しい思いをしてマラソンを走るのか?日本人ランナーの気が知れないといったところだろう。そんな私もこれまで2回、ホノルルマラソンに参加しているのだから、やっぱり物好きな方かな。

日本の市民ランナーの熱意は本当に強いと思う。日本全国、町おこしのイベントとも重なり数多くのマラソン大会が開催されている。「5km」「10km」の小さい大会も合わせるとその数およそ2800大会もあるという。またこれらの大会が多くのボランティアによって支えられていることを忘れてはならない。そして沿道に立ち心から応援してくれる人達。多くの人たちがスポーツの意義とその素晴らしさを感じることができる時間。ムダのようでありながら人と人のつながりをつくるとても大切な時間。そんな素晴らしい時間を過ごせるように、私もトレーニングを続けていきたいと思う。

春、プール営業開始になりました。

今日の空は快晴、気温は朝からどんどん上がって20℃を超えました。この暑さには満開の桜もびっくり。おまけに強い春風が吹いて花びらを散らしていました。満開の桜も明日が見納めのようです。

とはいっても、山沿いに住んでいるので麓の桜は散ってしまっても標高が高い地域ではこれからが見ごろとなります。そして山梨は桃の生産量が日本一、斜面に広がる広大な桃畑がピンク色に染まる絶景はとても美しく春の喜びを心から感じることができます。春を象徴する桜、そして、春は始まりと終わり、出会いと別れの季節。歳を重ねるほど、桜の景色に家族の成長や別れの場面が重なっていき、振り返るとそこにはたくさんの思い出が。最近、つい桜を見たくなる僕は今年55歳。やっぱり歳をとったんだな。

4月になって市民プールが解禁となった。早速、今年初泳ぎをするためプールに出かけた。今日は天気もよくお花見日和。プールは他に人影なくひとりじめでゆったり泳ぐことができた。

12月から3月までの休館の間、お休みして最初の泳ぎ、感覚を思い出すかのようにゆっくりと水をかく。休んでいながらすこしは進化しているかもと期待したが、まったくの現状維持。なかなか乗れなかった自転車が突然、まっすぐ進むようになる時のそんな変化を期待していたが、まだ蝶に変わる前の幼虫らしい。今年こそかっこよく泳げるようになりたい。そんな小学生のような目標を胸に誓う55歳だった。

最近はすこし凝った表現が書けないかなと欲がでてきた。しかし特別、文章の勉強をしている事はないので、時々間違った言葉使いに気づいたりして、校閲が必要だなと思ったりした。学生の頃、僕の評価は”おおまかに物事を纏めて全体を把握することは上手だが、細かいところは注意力に欠ける”という感じ。わかっていてもなかなか治らないのが人間の癖というもので、あとから気づいてちょっと恥ずかしい。もし気づいたらクスッと笑って許して欲しい。多分意味は通じてると思うので。今日も読み返してみると前半はですます調で、後半は違ったり、そんな事を書いているうちに目標の800文字に到着した。よし、今日はここまで。

今、一番訪れたい場所。

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サグラダファミリア教会(バルセロナ・スペイン)

今、一番訪れてみたい国。スペイン。そしてスペインを代表する都市バルセロナに浮かぶ巨大な彫刻芸術サグラダファミリア。1882年に着工してから約2半世紀、いまだ建築が続けられている。多くの人々の手によりその歴史が刻み込まれてきた建物は、いったい何のために今もその増築を続けるのだろうか?

その協会で数多くの人々がささげてきた祈り。その祈りを天に届かせるかのように高々と聳え立つ巨塔。そして教会の中に立ちいる色とりどりのステンドグラスから差し込む光と影。その場所に立つ人々の中に湧き上がる体感や想いはどんなものなのか?僕はその場所に立ち何を祈るのか? そんな想いがだんだんと膨らんでいる。 そしてスペインに惹かれるもうひとつの理由が、フラメンコに代表されるギター音楽。哀愁深いメロディーと独特なリズムは僕の心をとらえてはなさない。

今から15年前、僕は同じように旅をしたい衝動に動かされフランスの首都、パリとその北の最果てに立つモンサンミッシェルを訪れた。きっかけはルーブル美術館に展示されている「モナ・リザ」の絵画の本物をこの目で見たいと思ったから。作者であるレオナルドダヴィンチが歴史的にも有名な巨匠であったとしてもこの1枚の絵画に多くの人が魅了され、そこに潜む謎について現在まで語り継がれているのは何故なのか。1974年にあったモナリザ日本公開の騒動もあって絵画に興味が無くてもなんとなくその存在を知っていたがその興味に火をつけたのが、ダン・ブラウンが発表したミステリー小説「ダビンチコード」との出会いだった。この小説の面白さはイエスキリストにまつわる禁断の秘密をルーブル美術館でおきた殺人事件の謎とともに大胆な推理で解明していくところにある。また小説が各登場人物の目線で交互に代わる代わるように展開していくというアメリカドラマ特有の流れで書かれているところが、僕にとってはとても新鮮で、これまでにあじわったことのない展開に夢中にさせられてしまった。

そしてその本を読み終えたときルーブル美術館で本物のモナリザを見たいという夢は僕の第一優先になった。

日本から狭いシートに縛り付けられて約12時間、パリの玄関口シャルルドゴール空港に降りたときは疲労と時差ボケ、そしてこのような本格的な海外旅行は初めてとあっての不安と緊張が重なり僕の精神状態はけっして楽しいというものではなかった。空港からバスでパリの中心街へ入っていく。ヨーロッパ独特の雰囲気をもった街並みとそこに点在する数々の歴史的建造物。何もかもが1枚の絵画になりそうな雰囲気に別世界にもぐりこんだような錯覚を感じた。そう、ここは外国。こんな離れた場所でも人間という生き物が別世界でおなじような生活を営んでいる。外国人の自分を始めて意識した時だった。

そしてホテルに到着。利便性を重視してなるべく中心街近くの小さなホテルを選んだ。部屋は狭いがフランスらしい家具のデザインに満足。一番リラックスできたのは朝食の時間。小さなスペースに用意された場所でパンとコーヒーの簡単な食事がついていたが、そのパンが最高においしく感じた。自分達の部屋からその場所に降りて「ボンジュール」と朝のあいさつをかわす。日本人の団体客がいないので、外国の雰囲気をたっぷり味わうことができた。目的のルーブル美術館へはホテルから歩いて20分。結構遠い距離だが普段とちがう雰囲気を楽しみながら目的地へ向かった。次第に見えてきた巨大な建造物。こんな大きな美術館は見た事が無い。ダビンチコードの世界がこの中にあると思うと胸がドキドキしてきた。

中に入り最初に驚いたのは数メートルはある巨大な壁画と高い天井にも描かれた絵画の数々。その迫力と浮き上がってくるように細部まで描かれた絵は長い時空をこえて僕の目に迫ってきた。

人ごみのなかを進み、徐々にモナリザの前に近づいていく。まさにあの神秘的な表情、静かな微笑みと彼女の背中に続いていく不思議な背景、迷宮の中へ誘い込まれるような感覚を覚えた。長い時間を超えて目の前にしたモナリザ。僕の中にあった空想と現実。本物が放つその光が僕の描いていた空想を吹き飛ばしその真実を訴えかけてくる。普段、絵画を見にいくことなどなかった自分にその素晴らしさと興味深さを十分に教えてくれた。時がたつたびにもう一度訪れたくなるような体験だった。

ひとつの興味や好奇心が夢となって僕をその場所へ連れていってくれる。そんなことがまた起こるだろうか? 僕は再びダン・ブラウンの「オリジン」という新作を読み始めた。ここで描かれている舞台。それはスペイン。この本といっしょに僕はスペインの各所を飛び回り、夢からそれを実現する扉を開けるだろう。

イチロー 引退。

イチロー引退会見前の試合を見て。

イチロー、凱旋。 しかし彼のバットからヒットが生まれることは無かった。安打製造機の名のごとくヒットを大量生産したイチロー。最も印象深いのは2009年、侍ジャパンの一員としてWBCを戦い、最大のライバル韓国と迎えた決勝戦。3-3の同点、延長10回に訪れた勝ち越しチャンスでみごとセンター前にヒットを弾き出した試合だ。あのときの興奮と感動はあまりに大きく、決して忘れることは無い。そして今も変わることのない打席でのルーティンや構えを見ていると、ヒットを打って欲しいという期待が自然と高まってしまう。しかし今、TVの中に映る彼の表情はすごく複雑な、彼が描く理想とその隔たりに悔しさをかみしめているような、そして大きな決断下すための心の準備をしているような、そんな表情に見えた。今夜、きっと彼はその答えをみんなの前で語ってくれるだろう。語り終えたあと晴れ晴れとした彼の明るい表情が見たい。

レジェンド・イチローの話をしておきながら自身の野球少年だった頃の思い出を書くのは気が引ける感じもするが、野球に真摯に取り組む彼の姿を見ていて、書きたい想いが湧いてきた。

中学に入学して部活選び。自信は無かったが僕は野球部を選んだ。あの頃、夕食の時間帯のTV番組と言えばいつもプロ野球中継。自然と目の前の試合中継に夢中になり、そこで活躍する選手たちが僕のあこがれになっていった。あんなユニホームを着て野球をしてみたい。そんな純粋な想いが僕を野球部の入部へ背中を押した。しかし、そんな甘い想いも入部してはかなく消えた。小学校にはない先輩・後輩の上下関係、三年生がすごく大人に見えて怖かった。顧問の監督もかなりの熱血指導で、気持ちが入らない練習や試合をしていると容赦なく鉄拳が飛んできた。春の大会予選で負けてしまった先輩たちを一列に並べてビンタの連発。あれは負けたくないという悔しさを呼び起こさせるための刺激剤だったのだろうか。

野球をやってみて思ったのは、野球とは様々な運動要素が要求されるとても複雑なスポーツで、プレーに対する判断力や勝負の際、相手に負けないだけの精神力や試合に勝つための作戦、チームプレー、様々な事が要求されるとても高度なスポーツだということだ。練習でうまくいかない僕の姿をみて、陸上部の先生が僕に声をかけてくれた。君は陸上部の方が合っているんじゃないかな。今思うと僕もそう思う。相手と向かいあって一対一で勝負する野球より、自分の記録と向き合う陸上競技の方が自分の性格に合っていたと思う。野球部の先生が良く言っていた。野球は野蛮人がやるスポーツだと。気がやさしいお人好しでは活躍はできない。相手を飲んでかかるような気迫を持たないといけないと。確かにそう思った。

人よりずば抜けてうまくなることもなく、素質の無さを痛感しながらの部活生活。しかしやめようとは思わなかった。学校から帰って、バットを振る。休みの日はひとり壁に向かってボールを投げ込む。ひとり描く世界の中で練習に没頭することが好きだった。普段の部活ではエラーをして怒られることもあるが、ひとり練習している時、僕はあこがれのホームランバッターや剛速球を投げ込むピッチャーに自分の姿を重ねていた。

そんなことの継続が僕にチャンスを与えてくれた。3年生の部活が受験のため終了し、新しいレギュラー選手を選ぶための前練習。バッティング投手でマウンドに立った監督相手に僕は強打を連発した。不思議とバットがボールの芯を捉え打球が飛んでいく。そのとき僕は僕自身に対して監督が嬉しそうな顔をしたのを始めてみたような気がした。そして背番号の発表。レギュラー番号の最後「9」で自分の名前が呼ばれた。以外だった。正直実力以上の抜擢だった。レギュラー番号をつけて最初の他校との練習試合。最初のスタメン発表で僕は4番打者で試合に挑む事となった。練習で調子が良かったことはあるが、これは決して実力による選考ではない。ベンチのサインどおりに動いたり、相手投手をけん制したりそんな器用な事はできる訳もなく、ただ来たボールを打てばいいよ。という監督の気遣いだったと思う。

打順がすすみ初打席。ベンチにいる監督の指示を見る余裕もない。相手ピッチャーが高めにボールを投げ込んできた。ストライク、ボールの見分けもなく空振り。初めての試合に僕はすっかり飲まれてしまっていた。練習時の心境とは大違い。これでは相手の思うままだ。最後は変化球で空振り三振。これは勝負なのだ。打ってくださいとばかりに真ん中にボールがくるバッティング練習とは全く違うものだった。

2打席目、3打席目、僕はただ空振りを繰り返すばかりだった。ほろ苦い初試合。その後、2、3試合使ってもらえる事もあったが、その後の試合に出ることは無かった。それでも監督は一度決めた背番号を変えることはなく、部活卒業まで僕は「9」番のユニホームを着てグランドにいた。打てない、守れないそんな野球の難しさを痛感して僕の野球にあこれた3年間は終わりを告げた。

 

再びイチローの話に戻ろう。

今日は土曜日。イチローの引退会見が明けて1日が立った。会見の翌朝、彼は彼自身のホーム、シアトルに向けて飛び立った。一流アスリートの形振りを常に表現し、決して妥協せず、時に厳しい勝負に挑むなかで多くのプレッシャーを跳ね返してきた。そんな彼が引退を決めて臨んだ記者会見、多くのファン、関係者に感謝しながら、そこにはすべてやりきったという充実感とおだやかさ、そしてなんとなく寂しい雰囲気が漂い、本当に終わってしまったというため息が僕の心に残った。

昨年、選手でありながらも試合に出られない環境の中で、今回の開幕戦での活躍を日本のファンに見せることが自分の役割と信じてひたすら孤独な練習を続けてきた彼は、そのおよそ1年の日々を重ね続ける事ができたことを自分の中で誇りに思っている。そう言ってくれた。これまで数々の大きな期待に応えてきたイチローが最後、彼ができる精いっぱいの形でその想いを日本のファンに伝えてくれた。

ありがとう。お疲れ様。彼はまだ休息もしていないのにわがままな僕たちは彼がまた違う世界で僕たちの大きな夢を叶えてくれることを期待してしまうのだ。(終)