オーシャンの自分の人生を変えるダイアリー

やりたいことを実現できるように小さなチャレンジを記録するためのブログです。

イチロー 引退。

イチロー引退会見前の試合を見て。

イチロー、凱旋。 しかし彼のバットからヒットが生まれることは無かった。安打製造機の名のごとくヒットを大量生産したイチロー。最も印象深いのは2009年、侍ジャパンの一員としてWBCを戦い、最大のライバル韓国と迎えた決勝戦。3-3の同点、延長10回に訪れた勝ち越しチャンスでみごとセンター前にヒットを弾き出した試合だ。あのときの興奮と感動はあまりに大きく、決して忘れることは無い。そして今も変わることのない打席でのルーティンや構えを見ていると、ヒットを打って欲しいという期待が自然と高まってしまう。しかし今、TVの中に映る彼の表情はすごく複雑な、彼が描く理想とその隔たりに悔しさをかみしめているような、そして大きな決断下すための心の準備をしているような、そんな表情に見えた。今夜、きっと彼はその答えをみんなの前で語ってくれるだろう。語り終えたあと晴れ晴れとした彼の明るい表情が見たい。

レジェンド・イチローの話をしておきながら自身の野球少年だった頃の思い出を書くのは気が引ける感じもするが、野球に真摯に取り組む彼の姿を見ていて、書きたい想いが湧いてきた。

中学に入学して部活選び。自信は無かったが僕は野球部を選んだ。あの頃、夕食の時間帯のTV番組と言えばいつもプロ野球中継。自然と目の前の試合中継に夢中になり、そこで活躍する選手たちが僕のあこがれになっていった。あんなユニホームを着て野球をしてみたい。そんな純粋な想いが僕を野球部の入部へ背中を押した。しかし、そんな甘い想いも入部してはかなく消えた。小学校にはない先輩・後輩の上下関係、三年生がすごく大人に見えて怖かった。顧問の監督もかなりの熱血指導で、気持ちが入らない練習や試合をしていると容赦なく鉄拳が飛んできた。春の大会予選で負けてしまった先輩たちを一列に並べてビンタの連発。あれは負けたくないという悔しさを呼び起こさせるための刺激剤だったのだろうか。

野球をやってみて思ったのは、野球とは様々な運動要素が要求されるとても複雑なスポーツで、プレーに対する判断力や勝負の際、相手に負けないだけの精神力や試合に勝つための作戦、チームプレー、様々な事が要求されるとても高度なスポーツだということだ。練習でうまくいかない僕の姿をみて、陸上部の先生が僕に声をかけてくれた。君は陸上部の方が合っているんじゃないかな。今思うと僕もそう思う。相手と向かいあって一対一で勝負する野球より、自分の記録と向き合う陸上競技の方が自分の性格に合っていたと思う。野球部の先生が良く言っていた。野球は野蛮人がやるスポーツだと。気がやさしいお人好しでは活躍はできない。相手を飲んでかかるような気迫を持たないといけないと。確かにそう思った。

人よりずば抜けてうまくなることもなく、素質の無さを痛感しながらの部活生活。しかしやめようとは思わなかった。学校から帰って、バットを振る。休みの日はひとり壁に向かってボールを投げ込む。ひとり描く世界の中で練習に没頭することが好きだった。普段の部活ではエラーをして怒られることもあるが、ひとり練習している時、僕はあこがれのホームランバッターや剛速球を投げ込むピッチャーに自分の姿を重ねていた。

そんなことの継続が僕にチャンスを与えてくれた。3年生の部活が受験のため終了し、新しいレギュラー選手を選ぶための前練習。バッティング投手でマウンドに立った監督相手に僕は強打を連発した。不思議とバットがボールの芯を捉え打球が飛んでいく。そのとき僕は僕自身に対して監督が嬉しそうな顔をしたのを始めてみたような気がした。そして背番号の発表。レギュラー番号の最後「9」で自分の名前が呼ばれた。以外だった。正直実力以上の抜擢だった。レギュラー番号をつけて最初の他校との練習試合。最初のスタメン発表で僕は4番打者で試合に挑む事となった。練習で調子が良かったことはあるが、これは決して実力による選考ではない。ベンチのサインどおりに動いたり、相手投手をけん制したりそんな器用な事はできる訳もなく、ただ来たボールを打てばいいよ。という監督の気遣いだったと思う。

打順がすすみ初打席。ベンチにいる監督の指示を見る余裕もない。相手ピッチャーが高めにボールを投げ込んできた。ストライク、ボールの見分けもなく空振り。初めての試合に僕はすっかり飲まれてしまっていた。練習時の心境とは大違い。これでは相手の思うままだ。最後は変化球で空振り三振。これは勝負なのだ。打ってくださいとばかりに真ん中にボールがくるバッティング練習とは全く違うものだった。

2打席目、3打席目、僕はただ空振りを繰り返すばかりだった。ほろ苦い初試合。その後、2、3試合使ってもらえる事もあったが、その後の試合に出ることは無かった。それでも監督は一度決めた背番号を変えることはなく、部活卒業まで僕は「9」番のユニホームを着てグランドにいた。打てない、守れないそんな野球の難しさを痛感して僕の野球にあこれた3年間は終わりを告げた。

 

再びイチローの話に戻ろう。

今日は土曜日。イチローの引退会見が明けて1日が立った。会見の翌朝、彼は彼自身のホーム、シアトルに向けて飛び立った。一流アスリートの形振りを常に表現し、決して妥協せず、時に厳しい勝負に挑むなかで多くのプレッシャーを跳ね返してきた。そんな彼が引退を決めて臨んだ記者会見、多くのファン、関係者に感謝しながら、そこにはすべてやりきったという充実感とおだやかさ、そしてなんとなく寂しい雰囲気が漂い、本当に終わってしまったというため息が僕の心に残った。

昨年、選手でありながらも試合に出られない環境の中で、今回の開幕戦での活躍を日本のファンに見せることが自分の役割と信じてひたすら孤独な練習を続けてきた彼は、そのおよそ1年の日々を重ね続ける事ができたことを自分の中で誇りに思っている。そう言ってくれた。これまで数々の大きな期待に応えてきたイチローが最後、彼ができる精いっぱいの形でその想いを日本のファンに伝えてくれた。

ありがとう。お疲れ様。彼はまだ休息もしていないのにわがままな僕たちは彼がまた違う世界で僕たちの大きな夢を叶えてくれることを期待してしまうのだ。(終)