壁について

ブログを書き始めて2週間だが、思うように手が進まない。

そこには、やはり何かかっこいい事を言わないといけないような、体裁を整えたいという作用が働いているのかも知れない。

自分を素直にさらけ出す事は、これまで自分が抱えてきたなかなかできないテーマのひとつになっている。元々、子供のときからあがり症で、人前で何かを発表するような時はものすごく緊張してしまう。

思春期の時には特に女性と話をする事は一番の苦手で、すぐに顔が赤くなるし、どうしたらいいかわからない感じだった。だから友達と遊びに行ってもつまらないヤツになってしまう。

しかし、その反面、自分を表に出したい、目立ちたい、褒められたい、面白がられたいという気持ちを持っている事も確かだ。

小学校の時はおとなしくしていたのに、なぜか学級委員に選ばれると、高学年では児童会長までやってしまった。中学校でも自分から立候補するつもりはなかったのに、生徒会の役員選挙に推薦されたとたん、他の立候補者には負けたくありません。など言って副会長になってしまった。

高校のサークルではフォークソング同好会というサークルに入っていてそこでも一番ヘタクソだったのに、サークルの部長をやってくれとたのまれて部長になってしまった。

部長の役割は学校近所の女子高とのコンパを仕切ること、苦手、できない、といいながらいつもそんな役回りがやってきては、緊張のあまり失敗ばかりしてきた。

自分を変える事がこのブログの大きな目的となっているが、変える楽しさもある反面、やはり苦しくなる事もある。これまで自然と避けてきたことにフォーカスして変えようとしているのだから苦しいのは当然だ。こんなことができるのも恵まれた平和な世界に住んでいる情報や知識の豊富な人達の特権のようなもので、贅沢な事をしているのだ。

もともと、人間はそんなに多くにコミュニケーションを必要とはしていなかったため、現代のような多くの人達とうまくかかわっていくような機能は持っていないらしい。基本的に持っているのは警戒して自分の身を守るための機能の方が強いそうだ。恐竜が生きていたような時代から人類は進化してきて、狩猟を中心に生活してきた過程において、どの動物も同じだが、一番大事なのは自分のまわりにある危険を察知する能力だった。人の集まりは少数で、互いに村をつくり、他所の相手には人一倍、警戒を強くした。

だから、その縄張りで常に争ってきたし、人は今でも争いを続けている。

なので、基本、人は皆、隠したがりやなのだ。文明が発達してプライベートが確立されればされるほど、人はそこに閉じこもろうとするのだ。アフリカの下級社会の人々が、日々、将来の不安などもたずみんな明るい笑顔でいられるのは、その社会がプライベートが無く、将来を占うような余計な情報も無いからだ。みんな同じ様な開放的な家で近所同士、協力して暮らしていたら隠し事もできない。

しかし、自由なようでこんな窮屈な現在にいるからこそ、自分を自由に開放できることに希少価値がでてくる。本当はみんながそうしたいと思っている。だからこの手の自己啓発本が売れる。

最近、思うのは、日本人って本当に、この手の自己啓発本が好き、または悩んでいる人がたくさんいるんだな、という事。この手の本が本当に多いし、売り上げも高い。しかし実践するとなるとかなり苦しい。大半の人は苦しくなってやめる。人間が備えている警戒のプロセスは強靭で、この壁をぶち破るのは普通にいったら到底太刀打ちできない。

しかし、今、自分の心の中に変わりたいという風が吹き込んできてしまった以上、それを止める事はできない。気づかずにやり過ごしてしまえば、それも楽な生き方に違いない。 でも気づいてしまった場合、それを変えずにはいられない。求め続けることだ。でもそんなに心配することは無い。

自分を探求する事を楽しめばいいのだ。そんな贅沢ができる平和な社会にいるのだから。

今日から3連休、今日も一日を楽しもう。