オーシャンの自分の人生を変えるダイアリー

やりたいことを実現できるように小さなチャレンジを記録するためのブログです。

今日はプールに行ってきました。

水中から息継ぎのため顔をあげ、一瞬、外の光を見上げるとまた水中に顔を鎮める。苦しくなってきた呼吸を抑えながらブクブクと息を吐き、また顔をあげる。プールサイドまであとすこし。手を伸ばし、やっとの思いで泳ぎ着いた。今日は平日、人もまばらなプールはとても静かだけど、僕は水の中で息継ぎがうまくできずにもがいていた。しだいに息があがり呼吸のペースが早まる。あとすこし。あとすこし。そんな繰り返し。十分に疲れ切ったところで僕はプールから出た。家に帰って窓を開ける。横になりひんやりした空気に吹かれていたら泳いだあとの脱力感が全身をつつみ、まぶたも重くなってきた。夕方になって空一面を覆っていた雲も流れて外が明るくなった。この時間の昼寝がいちばん気持ちがいい。疲れた体を伸ばしてひと眠りしている間に外は薄く暗くなった。普段なら残業でまだ会社にいる時間。かけ離れた時間を過ごし夜を意識したら普段と同じように時間の流れが気になり始める。あしたも休みだったらいいのに。時間とともに僕らは毎日を暮らし、時間への意識が時にあせりやイライラを呼び起こす原因となる。時間に対する意識をどのように持つべきか、これは充実感をもった生活を送るため大きなカギとなるものである。泳いでいる時間、そこに他の意識が入り込む余地はなく、僕はただ水中での泳ぎだけに集中している。そこに時間への意識は無い。今日はいい時間を過ごせたと思う。(終わり)

擬態

扇風機の音だけが回る部屋でふと目を覚ます。うかつにもしばらく眠ってしまったらしい。生ぬるく湿った風が僕の耳元を通り過ぎていく。目覚まし替わりに軽い筋トレをしてお風呂に入った。今日はこのまま寝てしまおうか。そんな誘惑を振り切るように今日も僕はPCの扉を開けた。ここまで書いてみて指が止まる。しばらく休止していたため題材が浮かんでこない。すると、ある日雨あがりの日に家の壁に張り付くカエルを見つけた事が頭に浮かんできた。ベージュ色の壁に擬態した白いカエル。その形からよく見る小さなアマガエル。普段はたぶん緑色だけどその擬態した姿に僕はとても驚いた。詳しいメカニズムはよくわからないがまわりの色を感じて意識的に自分の皮膚の色を変えることができるとはものすごい能力だ。人間の世界で考えればそれは洋服を纏う事と同じなのかもしれない。ひとそれぞれに違う洋服を着ているように見えて遠くからみれば、それはその社会の求める姿に溶け込むための装いなのかもしれない。あまりにその社会から外れた姿でいればまわりから攻撃を受ける。人間同士でも争いをさけるため自分を隠しながら擬態している。そんな自分の姿かもしれないカエルの姿をカメラに残したつもりだったのに、その写真を見つけることはできなかった。このカエル、きっと写真の中でも姿を変えひっそりと息をしているのかも知れない。(終わり)

再開。もうすぐ夏なので。

しばらくぶりにPCを開けてみた。それほどの長い間、僕はこのブログの世界から遠ざかっていた。

理由はただ単純に仕事が忙しくて手が回らなくなったから。時が経つにつれ次第にPCを開けることさえ億劫になっていたが、今日からまた創作をしていきたいと思う。

ブログから離れていた間、すこし取り組んでいたことが、本を読むという事。速読法について以前から興味があって何度かトライした事があってか本屋さんで「瞬読」というタイトルに目がとまり、つい購入してしまった。この本、読んでは見たが速読をマスターすることの利点は多く解説していたが、そのメソッド自体はあまり書かれていなかった。さわりの部分だけ説明して、もっと知りたい、効果をあげたい人はセミナーに参加してくださいみたいな宣伝主体の内容だった。実際に速読をマスターした人の速読する姿を画像で見ることができるが、これがすごい。ページをただペラペラめくるだけの速さでその内容を理解するというのだから驚きだ。300ページくらいある通常の本を3分ぐらいで読み切ってしまう速さ。正確に言うと「読む」という行動ではなく「見る」という作業をしていることになる。開いたページ全体を見てそこに書かれている内容を理解すると言う。実際に練習をしてみたが、ぼんやりと文字自体は目に飛び込んでくるが内容を理解したという実感がない。先ずは練習。本棚にある1回読み終えた本を10冊ぐらい重ねて読み始める。立ち止まらないようにただ見るだけ。文字も上から下まで目線で追うことはせず、行全体を見るように本との距離を調整してコピー機がスキャンしていくようなイメージで平行に目線をずらしていく。数秒で見開き2ページを見終わり次のページに移る。1日15分から30分ぐらい、読書の時間をとるようにしている。瞬読なので長い時間はいらない。朝10分、夜10分、それぐらい。できれば10分で1冊を見切るようにしたいが、長編小説となるとそうはいかない。10分100ページぐらい。それでも2日で1冊読めることになるので、本の数は大きく増えることになる。家にある本では足りないので図書館に行って本を借りてくることにした。速読自体は満足に習得するには至らないが、本を読む習慣づけはできた。今後はこうして目を通した本の内容もアウトプットしていきたいなと思う。

どうにか今日はブログを書き込む事ができた。またここからスタートだ。(終わり)

群れからはぐれた狼の話

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忙しかった日々を終えて朝のジョギングに向かう。前方に2匹のかわいい子犬を連れた男性の影。どちらかというと僕は犬は苦手だ。ペットを飼った事がないので犬とじゃれ合うという事をやったことが無い。いつ吠えられるかもしれないという警戒心を持ちながら、飼い主の男性に挨拶をし、足早に追い越していった。となりに住んでいるポチは僕の顔を見慣れたせいか、ようやく僕に向かって吠えなくなった。人といっしょに生活するようになった犬。人と犬との交流は長い時の流れの中でどのように深まっていったのであろう。歩きながらTVで最近見た、犬の祖先とされるオオカミの話を思い出した。

はるか昔、まだ人間が狩猟を始めたころ、この世の中に現在のような人間といっしょに生活する犬のような動物は存在しなかった。わずかな農作物を食べていた人間にとって大きな肉食獣の食べ残しはめったにないご馳走だったが、それを背後から狙う獣がいた。その代表が狼だ。人間と狼はご馳走を取り合うライバルでいつも争っていた。群れで生活する狼の中で、チカラもなくおとなしい狼は食事にありつけることができずに群れから取り残されてしまう。そんなおとなしく弱い狼が生きるために選んだ場所が人間のいる村だった。人間に近寄って人間の食べこぼしを拾うようになった狼。最初は警戒し、追い払っていた人間もその一方で狼が自分達の作物を狙ってやってくる小動物を追い払うのに役立つ事を知ると人間も村にやってきたおとなしい類の狼を受け入れるようになった。そして同じようなおとなしい狼同士が種を次の世代につなげることでその本能は次第に変化し、現在、人間に飼われているような犬という種が生まれたという。人間と暮らすことを選択した犬たちはやがて人間が要求することを理解し、人間を喜ばせる行動を行うまでに進化した。群れからはぐれて行きつく場所なく死んだ狼も多くいたはずだ。人間との生活に順応できたごくまれな狼から犬への進化は始まったという。

今では人と犬は深い絆で結ばれ、互いになくてはならない存在になった。今日は休日。となりのポチはいつものように木陰に寝そべりながらのんびりと過ごしている。さあ、ごはんを食べよう。(終わり)

 

 

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久し振りに自転車屋さんをのぞいてみた。広い店内に置かれた大量のピカピカに光る自転車。一階フロアーは売れ筋の通学、通勤用自転車並ぶ。階段をあがり2階へ進むとそこには胸躍る夢のスポーツ自転車がずらっと並んでいた。多変速機のギヤが幾枚と重なる、計算されたフレームと触りたくたくなるハンドル、これまでなるべく考えないようにしていた欲望が湧き上がってくる。「ああ、僕も自転車に乗りたい。こんな自転車でツーリングにでかけたらどんなに気持ちがいいものだろう。」

しかし、最近の自転車はとても進化しており、子供用でもかっこいいマウンテンバイクがあったりしてとても羨ましいかぎり。僕も子供のころはよく自転車に乗っていたな。普段はあまりいっしょに遊んでくれない父だが、夏になると休みの日の朝は早起きをして僕たち兄弟をサイクリングに連れ出してくれた。いつもは行かないような遠くへ父の背中を追いかけながら走る。ひとりでは不安で怖い道だって3人で走っていれば平気さ。眺めのよい場所について自動販売機でジュースを買う。乾いたのどに炭酸の泡がはじけて気持ちがいい。3人でジュースを飲んで帰りの家路をまた走る。体成長するにしたがい長い間乗った自転車の小さくなってもっと早く走れる自転車が欲しくなった。毎日、考えるのは自転車の事ばかり。あのころ流行った自転車はハンドルはセミドロップ、後ろには流れるように点滅するテールライトがついた派手な自転車。走る気分はバイクにまたがり風を受けて走る仮面ライダー?欲しくて欲しくてがまんできないと思っていたら8月の誕生日、自転車屋さんのオジサンがやってきて一台の自転車を持ってきた。父からの誕生日のプレゼント。ピカピカに光る新型の自転車。とっても嬉しかったのだが、後ろをみると流れるテールランプがついていない。おっと、なんか違うような変な気持ちが湧いてきてちょっとがっかりした気分。子供って大人からみるとどうでもいいような部分にこだわりをもっていたりするのだ。今思えば素直に喜びを表現せず、親からしてもあまり張り合いのない子供だったと思う。

そんな子供の時の思い出が自転車を眺めている僕の胸をくすぐる。そして僕と同じように自転車が好きなあなたにピッタリのQueenのこの曲「Bycle race」。それでは今日はこのあたりで。

youtu.be

母の日に歌う。

f:id:morishige0810:20190514211130j:plain 日曜日。今日が母の日だったことに気づく。あわてて今日の予定を考えてみると午前中は別の用事を入れていたので、午後にお墓詣りに行こうと決めた。墓地までは車で20分ぐらい。遠い訳ではないが、頻繁に行く訳でもなく前回のお彼岸から今日まで時間が経ってしまった。山奥に向かって車を進めると墓地の看板が見えてきた。入口付近には3年ぐらい前に建てられたメガソーラーのパネルが一面に並んでいる。なんとも不釣り合いな景色の横を通り過ぎ、お墓の近くに車を止めた。大小100基ぐらいの墓石が整理された区画に並べらてたその墓地で他の参拝に来た人と出会う事は滅多にない。シーンと鎮まり、風の音が僕の横を通り過ぎていく。地面に目を向けるとしばらく来てなかったせいで多くの雑草が生えていた。よそのお墓も同じく誰かが訪れたような形跡はない。うぐいすの鳴く声が聞こえてくる心休まる場所ではあるが、この世に生きている人から見たらとても寂しい場所である。もっと賑やかな場所にして欲しかったと文句を言ってるかもしれないな。そんな事を思いながら雑草を抜き始めた。墓石に刻まれた母の命日「3月9日」、僕の中学の卒業式が終わって間もないうちに母は家からいなくなった。あれからもう40年という長い月日が過ぎたんだ。お線香に火をつけてしばらく目を閉じる。そしてまた何も聞こえない時間が止まった世界からゆっくりと目を開ける。僕は生きている。

家に帰りギターを弾きながら僕は「3月9日」を口ずさむ。母がいなくなったのをきっかに始めたギター、今、僕が手にしているギターも同じ月日を経て今、ここにいる。「3月9日」この曲と出合ったこともきっと偶然ではなかったんだ。長い間ギターを続けてきた僕が巡り合ったギフト。なんかイチローみたいなセリフになってきたのでここで止めておこう。

食レポに挑戦、「おにがわら」を訪れて。

今年のゴールデンウイークは史上初の最長10連休とあって日本各所、大混雑で盛り上がった。私と言えば例年と変わらず新天皇即位の休日は会社の出勤日、なので遠出はしないと決めていた。そんな中、お出かけしたのが鉄板ダイニング「おにがわら」。八ヶ岳の山の中にある小さなおうち。新緑の中、野鳥たちのさえずりが聞こえる。そんな景色を眺めながら食べるアツアツのお好み焼き。窓の景色を楽しむのも良いが、私のお薦めは大きな鉄板を前に見事なコテさばきを堪能できるカウンター席。その日も私たちが注文した4人前の広島風お好み焼きを同時に焼き上げる手際の良さを十分に見せてくれた。

私は本格的な広島風お好み焼きを焼くのを見るのも、食べるのも初めてとあってとても感動してしまった。 薄く広げた生地の上にたっぷりのキャベツを載せて熱を通す。豚バラを載せたらその上から生地をかけてひっくり返す。次に焼きそばの生めんを焼いて平らに広げたらその上にキャベツ、豚バラのお好みやきを載せて次に薄く広げた卵焼きを載せる。いくつもの工程を経て最後にソースをまんべんなく塗って青のりをかけたら完成。4枚同時に進行していくその移り変わりを飽きることなく見入ってしまった。

これまでお好み焼きと言えば関西風しか食べたことがなかったが、しんなりと柔らかくなったキャベツと焼きそばとソースの組み合わせがとてもマッチした広島風もとってもおいしかった。 ボリュームもたっぷりあって大満足の一皿だった。

このお店では広島風、関西風とも注文することができ、またオリジナルの創作お好み焼きも楽しむことができます。どんなお好み焼きなのか、それは実際にこのお店を訪ねてみてのお楽しみ。

しかし、食べ物のリポートってなかなか難しいものですね。とてもローカルな話題となってしまいましたが八ヶ岳清里を訪れる機会があったら是非お立ち寄りください。