母の日に歌う。

f:id:morishige0810:20190514211130j:plain 日曜日。今日が母の日だったことに気づく。あわてて今日の予定を考えてみると午前中は別の用事を入れていたので、午後にお墓詣りに行こうと決めた。墓地までは車で20分ぐらい。遠い訳ではないが、頻繁に行く訳でもなく前回のお彼岸から今日まで時間が経ってしまった。山奥に向かって車を進めると墓地の看板が見えてきた。入口付近には3年ぐらい前に建てられたメガソーラーのパネルが一面に並んでいる。なんとも不釣り合いな景色の横を通り過ぎ、お墓の近くに車を止めた。大小100基ぐらいの墓石が整理された区画に並べらてたその墓地で他の参拝に来た人と出会う事は滅多にない。シーンと鎮まり、風の音が僕の横を通り過ぎていく。地面に目を向けるとしばらく来てなかったせいで多くの雑草が生えていた。よそのお墓も同じく誰かが訪れたような形跡はない。うぐいすの鳴く声が聞こえてくる心休まる場所ではあるが、この世に生きている人から見たらとても寂しい場所である。もっと賑やかな場所にして欲しかったと文句を言ってるかもしれないな。そんな事を思いながら雑草を抜き始めた。墓石に刻まれた母の命日「3月9日」、僕の中学の卒業式が終わって間もないうちに母は家からいなくなった。あれからもう40年という長い月日が過ぎたんだ。お線香に火をつけてしばらく目を閉じる。そしてまた何も聞こえない時間が止まった世界からゆっくりと目を開ける。僕は生きている。

家に帰りギターを弾きながら僕は「3月9日」を口ずさむ。母がいなくなったのをきっかに始めたギター、今、僕が手にしているギターも同じ月日を経て今、ここにいる。「3月9日」この曲と出合ったこともきっと偶然ではなかったんだ。長い間ギターを続けてきた僕が巡り合ったギフト。なんかイチローみたいなセリフになってきたのでここで止めておこう。

食レポに挑戦、「おにがわら」を訪れて。

今年のゴールデンウイークは史上初の最長10連休とあって日本各所、大混雑で盛り上がった。私と言えば例年と変わらず新天皇即位の休日は会社の出勤日、なので遠出はしないと決めていた。そんな中、お出かけしたのが鉄板ダイニング「おにがわら」。八ヶ岳の山の中にある小さなおうち。新緑の中、野鳥たちのさえずりが聞こえる。そんな景色を眺めながら食べるアツアツのお好み焼き。窓の景色を楽しむのも良いが、私のお薦めは大きな鉄板を前に見事なコテさばきを堪能できるカウンター席。その日も私たちが注文した4人前の広島風お好み焼きを同時に焼き上げる手際の良さを十分に見せてくれた。

私は本格的な広島風お好み焼きを焼くのを見るのも、食べるのも初めてとあってとても感動してしまった。 薄く広げた生地の上にたっぷりのキャベツを載せて熱を通す。豚バラを載せたらその上から生地をかけてひっくり返す。次に焼きそばの生めんを焼いて平らに広げたらその上にキャベツ、豚バラのお好みやきを載せて次に薄く広げた卵焼きを載せる。いくつもの工程を経て最後にソースをまんべんなく塗って青のりをかけたら完成。4枚同時に進行していくその移り変わりを飽きることなく見入ってしまった。

これまでお好み焼きと言えば関西風しか食べたことがなかったが、しんなりと柔らかくなったキャベツと焼きそばとソースの組み合わせがとてもマッチした広島風もとってもおいしかった。 ボリュームもたっぷりあって大満足の一皿だった。

このお店では広島風、関西風とも注文することができ、またオリジナルの創作お好み焼きも楽しむことができます。どんなお好み焼きなのか、それは実際にこのお店を訪ねてみてのお楽しみ。

しかし、食べ物のリポートってなかなか難しいものですね。とてもローカルな話題となってしまいましたが八ヶ岳清里を訪れる機会があったら是非お立ち寄りください。

「令和」になって思った事。

このゴールデンウイーク、平成天皇が退位し、新しく令和の天皇が誕生した。これまでの平成30年間のなかで天皇、皇后両陛下が残した足跡として数多く取り上げられた報道は、先の第二次世界大戦の犠牲となり亡くなった人々やその家族、また平成の中で幾度と発生した大規模な自然災害に巻き込まれた人達の苦しみや悲しみに真摯に思いを寄せ、自ら近くに寄り添う姿勢だった。両陛下は直接、被災地へ出向き、災害に遭われた人々を敬い、励ましの言葉をかける行いを続けてきた。その自らが掲げた使命を全うする姿に僕自身、振り返る思いがあった。

母が生まれ育った故郷、福島県相馬市、先の東日本大震災による津波福島原発事故によって多くの被害が発生した。僕は母をすでに亡くしていたが、相馬市で生活する親戚の人達は幸い無事ではあったがその大きな災害に飲み込まれた。災害発生直後、東北から関東一帯は混乱し親戚の人たちとの連絡も繋がらない日々が続いた。私自身、親戚との付き合いも離れていたことがあって心配な気持ちはあっても、被害を受けた人に対して寄り添うことはできなかった。自身の無力感を勝手に抱き余計に身を引いてしまった。電話もできず、だた遠くから見て見ぬふりをしてしまった。震災から3年の月日が経ち、復興の兆しが見えてきたころ、僕のことをかわいがってくれた叔母のひとりが亡くなったとの知らせを聞いた。どんどんと遠ざかっていく僕と故郷、福島との距離。このまま離れてしまっていいのだろうか? 父も軽い程度の認知症と心臓の病による体力低下で遠くへ出かけることも難しくなってきたと分かってきたとき、私は父を連れて相馬の親戚たちに会いに行く決心をした。

震災当時、災害に遭われた親戚の人たちへ寄り添うことができなかった私たちをどのように思っているだろうか?そんな不安を抱きながら僕はハンドルを握っていた。茨城から常磐自動車道福島原発事故の影響で海岸沿いの自動車道は閉鎖中。一旦、福島県中通りと呼ばれる、郡山、福島市内を抜けて再び海岸沿いの相馬市を目指す、5時間を超える長距離運転、目的地が近づくにつれ次第に昔見た景色が思い出された。主要道路沿いには復興によって大型小売店やチェーン外食が並びその変化に違和感を感じながら宿泊先のホテルに到着した。

一晩明けて、約束の日、懐かしい親戚の人たちと久しぶりの対面を果たした。昨年亡くなった叔母さんのお墓参り。昔、お世話になったお返しは何もできなかったけど、会いに来たよ。できればもっと早く生きている間に行けばよかったけど、あまりの大きな出来事にどうしたらいいのかわからなかったんだ。町が流され、家が流されて、そんなときに会いにいって、逆に気を使わせてもいけないし。茨城から見たら相馬市は福島原発を超えた向こう側にあって、状況もよく分からずに行ってもいいのだろうか?とか。震災に遭われたことに対して何もしてあげられなかった僕たちだったけど、集まってくれた親戚の人達は僕らを優しく迎えてくれた。お墓参りを終えた後、僕たちは海岸沿いの海鮮料理店で会食した。海岸通り、震災前にあった街、住宅には津波が押し寄せ、今では整地された土地だけが広がっていた。特産のホッキ貝の料理を頂く。長い月日が経ち、ようやくの再会。母を早くに亡くし、距離が離れていたこともあって付き合いも離れてしまったことは仕方のないことかもしれない。しかし震災を超えて、自ら会いに行くことができて本当によかった。僕の心の中にあったわだかまりがすこしづつ溶けてゆくのと、親戚の人たちの明るいおもてなしに僕は感謝の気持ちでいっぱいだった。

あれから、また月日は流れて時は平成から令和へバトンタッチされた。そしてまた僕と福島の距離は離れたものとなっていた。街を歩く途中、大学生のボランティアたちが大声て募金の協力を募っていた。東日本大震災の復興のため、明るいパフォーマンスで呼びかける大学生の呼びかけに立ち止まり、僕は募金をした。募金を終えた僕にひとりの学生が僕に問いかけた。「なぜ、今回募金に協力しようと思ったのですか?」「みんなの明るい声に、応援したいと思ったから」僕はそう答えた。普段、離れている僕ができる事は立ち止まり募金に協力することぐらい。今度は僕の方から手紙でも書いてみよう。それが今の僕ができる精いっぱいの「人によりそう」というかたちだから。(終わり)

 

平成の終わりに友と会い、令和のスタートに立つ。

久し振りにPCに向かってキーを叩く。昨日は20年以上合っていなかった友人と再会するため横浜へ。甲府駅から横浜駅直通の高速バスに乗り込む。30年前、25歳のときから5年間、僕は横浜でひとり暮らしをしていた。元々田舎育ちの私にとって初めての都会暮らし。多くのTVドラマや歌詞に歌われてきたその街の風景に僕の胸は躍っていた。しかし現実と理想の差は大きく、できるだけ低い家賃で借りたワンルームは高速道路と隣接する街道沿いに立つ、日中も太陽の光が差し込むことのない薄暗い部屋だった。車の通りは夜も眠ることなく続き、そのノイズが鎮まることはない。たまに破裂音を轟かせながら数十台のバイクが1時間ぐらいかけて夜の街道を走りすぎる。そんな都会の洗礼に描いていた楽しいイメージは遠のいていった。なんとか新しい生活を楽しむため、僕は自転車を買った。ロードバイクの機動性を生かしてこの街を思うままに走りまわろう。でも僕の行く先は人が集まる場所ではなく海が見れる静かな港。倉庫が立ち並ぶ大黒ふ頭だったり、本牧ふ頭のヨットハーバー。車の騒音と離れて穏やかな風や波の音を聞いているのが好きだった。

甲府から乗った高速バスが終点に近づき、新しくなったみなとみらいを通過した。再開発であの当時はほとんどが、まだ平地のままだったが、今では様々な高層ビルが立ち並び洗練された街の雰囲気にあふれていた。バスの横をジョギングで通りすぎていくランナーをみながらなんとなくここに住みたいと思った。憧れて通ってみたジャズのライブハウスやカウンターバーもあの頃はどことなくぎこちなくて居心地の良さを感じる事もできなかったが、歳を重ねた今だからまたあの時間に浸ってみたいと思う。

バスから降りたら外は寒空、冷たい雨がポツポツと落ちてきた。時間はちょっと早いけど、スマホの地図アプリを頼りに迷いながらも今日のお店、居酒屋・満月に辿りつた。

 お店に入る手前では店員さんが立っていて予約の確認をしていた。12時の予約をしていたが、その日はすでに満席となっており予約の無いお客さんにお断りの説明をしていた。「予約しておいて良かった」と安堵しながら店員さんに連れられて2階の掘りごたつの部屋へ。案内されたテーブルにはすでに二人並んでジョッキを交わす姿があった。「久しぶりだな、二人ともどんな風かな」とすこし緊張しながらそのテーブルを覗く。先の二人も気づいたようにこちらを振り向いた。普段、遠くが滲んで見える僕はその二人の顔を見て「なんだか、すごく変わったな?」と思い半分、不思議そうな感じで「こんにちは」と挨拶すると向こうから「違いますよ」という答えが返ってきた。「ぜったい、そうだよな。」全くの別人。25年振りに合う友人とまったく似ていない二人を前にして半分自分の記憶を疑ってしまったが、そんなはずはないと自分のアホさ加減に間違えた店員さんと大笑いしながら正しい席へ案内してもらった。期待にすこしドキドキしながら待っているとそこに今度は本物の二人が現れた。「そうそう、その顔、その声だよね」記憶と重ねながらいろいろと昔の事を語り始めた。U先輩。顔は以前より少し痩せた感じだが、独特のなまり口調とやさしい笑みで話しかけてくるその姿は今もかわらず、そしてもう一人の友人Kはまわりをリードする話しの上手さと包容力、そしてその話題の豊富さで話をぐいぐいとひぱっていった。3人の近況や仕事に関する話の後、これからのやりたい事について話が進んだ。友人Kが話す「キャンピングカーを買ってゆっくり日本全国を旅する」という話に二人も賛同し盛り上がるとあっと言う間に予約の3時間が過ぎた。帰りが夕方6時のバスでまだ時間が空いている僕に友人Kがカラオケに付きあってくれた。僕としては前から友人Kとカラオケに行き、あの頃よく彼の車で聞いたサザンオールスターズをいっしょに歌うことを楽しみにしていたので、それは最高の時間だった。「夕日に別れを告げて」僕が一番歌いたかった曲。でも今回は曲名が思い出せずリクエストを入れることができなかった。これは次回のお楽しみ。

楽しかった時間も過ぎ、次の再会を約束して友人Kと別れた。

横浜ビブレをぶらっと探索して帰りのバスに乗るまえにラーメンを食べることにした。数多いお店の中で選んだのは黄金色に透き通ったスープと固めの細麺、軽く炙ったチャーシューはとても柔らかく、味もしっかり染みた手間暇かけた一杯。ゆずの香りとまろやかな油でつるつるさっぱりとっても軽い感じで食べれてしまう。お店もおしゃれな雰囲気で女性にも人気のお店だった。スマホでお店を探しているときは気づかなかったが、2年前、このお店が開店したばかりのころ、ここのラーメンを食べていた事を思い出した。そうそう、前も食べたよな。過去の忘れていた記憶に引き寄せられて再会したラーメンに僕はとても幸せな気分だった。本当にあっさりと食べれてしまうので、横浜に来た際は是非立ち寄ってください。

帰りのバスの中。今までの自分の中でやってこなかった事、人に会いに行くと言う事に気づき、その大切さを実感した。機会がないまま通り過ぎていた時間、自らの一歩を踏み出すことでその 世界は作りだすことができる。そしてまた会いに行こう。友と会い平成の彩を振り返り、そして令和のスタートラインに立つ。さあ、新しい自分に会いにいこう。バスが夜のトンネルをくぐりぬけていった。(終わり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春の桃源郷を走ってきました。

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今日は新府桃源郷、一面に咲いた桃の花をプレゼント。

朝早い時間にランニングがてら撮影してきました。普段、車では入ることができない畑の中でスマホ片手に最高のアングルを求めて歩きまわっていたら来た道がわからなくなってしまいました。なので帰りは初めての道を自宅の方角を目指して探検気分。新しい道で、いつもと違った風景と出会う。そんな身近な楽しさを見つけるのが好きで僕は走っています。

外の風景は春、まっさかり。自然と気持ちも楽しくなるような。でも、なかなか明るい気分になれない場合もある。そんなときはどうしたらいいのだろう。その人がいる環境や抱えている悩みは様々、とてもひとつの話が当てはまるとは限らない。すべてにやる気が起こらない。でもそんな時こそ自分と向き合って小さな工夫をひとつひとつ試してみることが大事だと思う。思考が疲労してしまっている人の多くはたぶん睡眠に問題があり生活のリズムが崩れてしまっている。夜、寝る時間、または朝、起きる時間が決まってなくバラバラな状態で生活している。先ずは睡眠時間をしっかり固定して毎日、同じ時間に起きる。これは休日であっても崩さないように、とにかく毎日、同じ時間に起きる。落ち込んでいるときは何かにすがっても良くしたいと思っているわりには今の生活を改めるとなると突如、「私は無理」「やりたくない」という拒否反応がでてくる。その拒否反応とどう戦うか?それが今の自分を良い方向へ導くためのひとつのカギとなる。睡眠時間を守っても私が持っている問題は何も解決しない。そう思ってもやってみる。とにかく基本が大事。睡眠、食事、運動、誰もが知っている健康の3大要素。この基本と素直に向き合い毎日を生きてみる。朝、決まった時間に起きる。先ずはそこから始めてみよう。

(文章を書くとき、その内容は誰に向けて書いているのか?それをしっかり決めて、相手を想定して書くことが大事といいます。私自身、何気なく思いつきで書いている部分もありますが、その相手はやはり私自身だと思います。相手を通して今の自分を見ている。そして相手を励ますつもりで自分自身の事を励ましているのです。もし、共感する方がいたらいっしょにやってみましょう。)

休日、小さな旅

先週は家からバスと電車を乗り継いで北杜市長坂町の牛池湖畔で行われた桜まつりに出かけてきた。普段、めったに路線バスを利用することはないが、発着時間さえしっかり押さえておけばしっかり移動コうストを抑えることができる。本数が少ないので必ずしも自分の都合のいいようには行かないが、余裕を見てのんびり出かけてみるのもたまにはいいものだ。駅からは電車でおよそ20分、しばし山麓を走る電車の旅を楽しんだ。途中、ピンク色に染まった桃畑や桜並木を車窓から眺めながら電車は目的地の長坂駅へ到着した。

今から約25年前、僕と彼女はこの町で結婚生活をスタートさせた。久しぶりに駅前の風景に触れることができて懐かしかった。作られた建物は移り変わってもそれを取り囲む雄大な自然は変わることなくその美しさを見せていた。目の前に広がる甲斐駒の風景は春の青く澄んだ空におだやかな佇まいをみせていた。冬にはどんより曇った空から雪を降らし強い北風を浴びせてくる。そんな景色を見るたびに平坦な土地で暮らしてきた僕は何とも言えない怖さを感じたものだ。その日は久しぶりに春らしいとても暖かな日だった。懐かしい商店街の通りを抜けて僕たちは今日の会場である牛池に向かった。湖畔に咲いた桜と池に映る青い空。ベンチに座り買ってきたワインを開けた。こんなのんびりとした休日もたまにはいいものだ。これからは緑色ずく新緑の季節。もうしばらくはこんな休日が楽しめそうだ。

今朝のニュース。フランスのノートルダム大聖堂の尖塔が焼け落ちる映像が映し出されていた。パリを代表する多くの観光客が訪れる場所であり、多くの人がその現実に目を疑ったことだと思う。僕がこの大聖堂を訪れた日はその中で小さなミサが行われ讃美歌が静かに流れていた。ステンドグラスに囲まれたその場所は凛として気持ちが安らいでいくのを感じた。このような大聖堂に集うことがそこに生活する人達の生活の一部として心のよりどころになっているのがとてもいいなって感じた。そのような場所が火災により大きな被害を受けたことはとても悲しいことだと思う。長い月日、変ることなくその場所にあり続けて人々の生活を包んできた大聖堂にはいち早く再建の話があがっている。一日もはやい再建を願いたいと思う。

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牛池の桜

 

 

ギター弾きの独り言

僕はギターを弾く。ほぼ毎日。会社から帰宅して夕食を食べた後、30分から1時間ぐらい。これ以上長く弾いているとそれだけで1日が終わってしまうので時間が来たら止めるようにしている。僕は妻と二人暮らし。僕はTVがついているリンビングで練習曲が弾けるようになるまで毎日、同じ曲をつっかえ、つっかえ弾いている。1曲覚えるのに2、3カ月かかる。僕は譜面が読めないので、最初は見ながら弾いているが、最終的には指が覚えるまで毎日同じ曲を繰りかえす。いっしょに過ごしている方は毎日いい迷惑かもしれない。もしあなたの彼がギター弾きだったら注意が必要かもしれない。いっしょに過ごすようになった彼は、ギターばっかり弾いていて毎日、話はうわの空かもしれない。そして1台のギターでは満ち足りず2台、3台と高価なギターを買いあさるかもしれない。そしてバンド仲間とつるんでは飲んでそこでもギターを弾いているかもしれない。ギターを弾く男には気をつけた方がいい。

昨日見たTVである夫婦のピアノのまつわる愛の物語が紹介されていた。仕事に没頭し家族と過ごす時間がとれなかった夫、家事、子育てと夫を支える妻、そんな妻にとつぜん癌がみつかり残り余命わずか半年が告げられた。夫はこれまでの仕事優先の生活をあらため妻との残りわずかの時間を大切にするようになった。ある日、妻は昔を思い出しながらこんな一言を夫に言った。「あなた、約束を守ってくれなかったわね。」それは、二人が若いころ、いっしょにTVドラマを見ていたときの出来事だった。そのころ人気ドラマだった「ロングバケーション」、そのドラマの中で木村拓哉が演じたピアニストを目指す主人公が弾いていた曲が「セナのピアノ」という題名がついたピアノ曲。妻はその曲がとてもお気に入りだった。

そんなドラマに見入る妻に夫は「俺もピアノを弾いてこの曲をプレゼントする」と言ってしまった。それを聞いた妻も「それじゃ、約束ね」と笑って答えた。そのときは軽い何気ない会話にすぎず、夫は仕事の忙しさからピアノの事などすっかり忘れてしまった。しかし妻はそんな些細な思い出をしっかり覚えていた。そして余命わずかとなった妻から言われた「約束、守ってくれなかったね」という言葉はそれ以来、夫の耳から離れることはなかった。ふさぎ込みがちの彼女を心から喜ばせるには何をしたらいいだろう。そんな事を考えるようになった夫は「セナのピアノ」を弾いて妻にプレゼントしようと心に決めた。しかしこれまでピアノなどやったことがない夫にとってそれはかなり高いハードルだった。妻にピアノの練習をしている姿を見せるわけにはいかない。彼は妻に隠してピアノ教室に通う生活を始めた。一刻も早くピアノをマスターしなくては。しかし初めて習うピアノは彼にとって簡単ではなかった。教室に通い、あるときは会社を休んでピアノルームを借りて練習を重ねた。そして約束を果たす日がやってきた。彼はある音楽ホールを借りてそこに妻と娘を招待した。客席で待つ二人。そしてピアノが置かれたステージの前に彼は立った。彼は指の震えを抑え「セナのピアノ」を弾き始めた。「セナのピアノよ。私が大好きな曲」娘に話かける妻のその声はとても嬉しそうだった。たどたどしくも精一杯、彼が奏でる心がこもった旋律、彼は最後までその曲をやりきった。ピアノの先生も「初心者には難しいですよ」と念を押されたが彼はあきらめず、そしてやりとおした。練習しながら彼は思った。「ピアノより彼女のそばにいてあげる事のほうが大事じゃないか?」「彼女は喜んでくれるだろうか?」しかし彼は「妻との約束を果たしたい。きっと喜んでくれるに違いない」その一心で練習に打ち込んだ。演奏を終えて彼は客席の妻のもとへ。「ありがとう。あなた」彼の目の前には嬉しさに満ちた妻の笑顔があった。そしてその日から3カ月後、妻は天国へと旅立った。

妻の旅立ちからしばらくして彼は遺品の整理をするため彼女が愛用していたPCを開けた。画面にあるアイコンを開くとそこには、あの日、約束を果たすためピアノに向かう自分の動画が映し出された。決して上手とはいえない自分のピアノ演奏、しかし彼女は最後の時までその映像を大事そうに見ていた。そう、その演奏は彼女にとって最高のプレゼントだった。そして最愛の妻を失った夫が今もかかさず行っている事。それはピアノを弾くこと。ピアノを弾くこと、それは彼にとって日々、最愛の人の事を思う証となった。

楽器を奏でるとき、そこには誰かに伝えたい想いが宿っている。そしてこの先、僕もギターを弾き続けるだろう。もし、ひとりになる日が来ても、その音色は僕をやさしくつつみ楽しかった時に僕をいざなってくれることだろう。