記録。3月3日PM3時ゴール。順位27,847位。

メジャー歴史にのこる偉大なる記録を打ち立てたイチロー。彼が引退した数週間後に彼の自宅を訪ねてインタビューをしたNHKの番組を見た。シアトルの閑静な雰囲気の中にある白を基本とした建物、玄関を開けると広々としたリビングとそこに並べられた数種類のトレーニングマシーンが目に入ってきた。まるでスポーツジムであるかのような風景、その中でひとり黙々とトレーニングに励むイチローの姿があった。インタビュアーの到着に笑顔で答えるイチロー、リラックスしたその微笑みからは大きな仕事をやりきった安堵の様子が感じられた。「本当に体を動かすことが好きなんですよ。じっとしていられない性格なので」トレーニングは彼の日課でありそう簡単にはやめられないようだ。取材を終えた後、今度は外へランニングに出かける彼。取材のために構成された内容だとわかっていても彼らしい自然な姿に見えた。きっと今日も彼は走っているに違いない。それは自分の中に沸いてくるすこしでも前に進みたいという欲求を満たすため。もっと遠くへ。

 昨日、東京マラソン完走の記録証が届いた。今大会は37,568人が出走、35,431人が完走した。完走率は94.31%。これは大会始まって以来、2番目の低さで今回のコンディションがいかに厳しいものだったかという事を表している。天候は雨、気温は5.7℃。春の期待を裏切る真冬の寒さだった。その中で私の成績は記録5時間49分01秒、総合順位27,847位だった。スタートは朝9時10分だったので、ゴールした時間は14時59分01秒。  当初、午後3時きっかりにゴールして3月3日3時の3並びの記録を作る予定だったが、その誤差、59秒。実におしい。走っている間はゴールする時間なんてまったく意識になかったが、ここまで寄せてくるとは本当にまったくの偶然。きっと応援してくれた人達の想いが私をゴールまで運んでくれたのだと思う。

東京マラソンは世界6大マラソンにエントリーされる国際大会なので外国人ランナーも多く参加しており約38,000人の総合エントリー数に対して日本人のエントリーは29,700人で78%、22%を外国人ランナーが占めている。参加率が高い国はアメリカ、中国、台湾の3か国で外国人ランナーのおよそ半分を占めている。しかし驚きなのはハワイで毎年行われているホノルルマラソンの日本人ランナーのエントリー率。こちらは総合エントリー数、約26,000人に対して日本人ランナーは約11,000人で約40%を占めている。これはマラソンという競技が日本人に広く浸透していてその熱の高さを想像することができる象徴的なデータだと思う。まあハワイに住んでいる人達からすれば、遥々、常夏の楽園ハワイまで来てなぜそんな苦しい思いをしてマラソンを走るのか?日本人ランナーの気が知れないといったところだろう。そんな私もこれまで2回、ホノルルマラソンに参加しているのだから、やっぱり物好きな方かな。

日本の市民ランナーの熱意は本当に強いと思う。日本全国、町おこしのイベントとも重なり数多くのマラソン大会が開催されている。「5km」「10km」の小さい大会も合わせるとその数およそ2800大会もあるという。またこれらの大会が多くのボランティアによって支えられていることを忘れてはならない。そして沿道に立ち心から応援してくれる人達。多くの人たちがスポーツの意義とその素晴らしさを感じることができる時間。ムダのようでありながら人と人のつながりをつくるとても大切な時間。そんな素晴らしい時間を過ごせるように、私もトレーニングを続けていきたいと思う。

春、プール営業開始になりました。

今日の空は快晴、気温は朝からどんどん上がって20℃を超えました。この暑さには満開の桜もびっくり。おまけに強い春風が吹いて花びらを散らしていました。満開の桜も明日が見納めのようです。

とはいっても、山沿いに住んでいるので麓の桜は散ってしまっても標高が高い地域ではこれからが見ごろとなります。そして山梨は桃の生産量が日本一、斜面に広がる広大な桃畑がピンク色に染まる絶景はとても美しく春の喜びを心から感じることができます。春を象徴する桜、そして、春は始まりと終わり、出会いと別れの季節。歳を重ねるほど、桜の景色に家族の成長や別れの場面が重なっていき、振り返るとそこにはたくさんの思い出が。最近、つい桜を見たくなる僕は今年55歳。やっぱり歳をとったんだな。

4月になって市民プールが解禁となった。早速、今年初泳ぎをするためプールに出かけた。今日は天気もよくお花見日和。プールは他に人影なくひとりじめでゆったり泳ぐことができた。

12月から3月までの休館の間、お休みして最初の泳ぎ、感覚を思い出すかのようにゆっくりと水をかく。休んでいながらすこしは進化しているかもと期待したが、まったくの現状維持。なかなか乗れなかった自転車が突然、まっすぐ進むようになる時のそんな変化を期待していたが、まだ蝶に変わる前の幼虫らしい。今年こそかっこよく泳げるようになりたい。そんな小学生のような目標を胸に誓う55歳だった。

最近はすこし凝った表現が書けないかなと欲がでてきた。しかし特別、文章の勉強をしている事はないので、時々間違った言葉使いに気づいたりして、校閲が必要だなと思ったりした。学生の頃、僕の評価は”おおまかに物事を纏めて全体を把握することは上手だが、細かいところは注意力に欠ける”という感じ。わかっていてもなかなか治らないのが人間の癖というもので、あとから気づいてちょっと恥ずかしい。もし気づいたらクスッと笑って許して欲しい。多分意味は通じてると思うので。今日も読み返してみると前半はですます調で、後半は違ったり、そんな事を書いているうちに目標の800文字に到着した。よし、今日はここまで。

今、一番訪れたい場所。

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サグラダファミリア教会(バルセロナ・スペイン)

今、一番訪れてみたい国。スペイン。そしてスペインを代表する都市バルセロナに浮かぶ巨大な彫刻芸術サグラダファミリア。1882年に着工してから約2半世紀、いまだ建築が続けられている。多くの人々の手によりその歴史が刻み込まれてきた建物は、いったい何のために今もその増築を続けるのだろうか?

その協会で数多くの人々がささげてきた祈り。その祈りを天に届かせるかのように高々と聳え立つ巨塔。そして教会の中に立ちいる色とりどりのステンドグラスから差し込む光と影。その場所に立つ人々の中に湧き上がる体感や想いはどんなものなのか?僕はその場所に立ち何を祈るのか? そんな想いがだんだんと膨らんでいる。 そしてスペインに惹かれるもうひとつの理由が、フラメンコに代表されるギター音楽。哀愁深いメロディーと独特なリズムは僕の心をとらえてはなさない。

今から15年前、僕は同じように旅をしたい衝動に動かされフランスの首都、パリとその北の最果てに立つモンサンミッシェルを訪れた。きっかけはルーブル美術館に展示されている「モナ・リザ」の絵画の本物をこの目で見たいと思ったから。作者であるレオナルドダヴィンチが歴史的にも有名な巨匠であったとしてもこの1枚の絵画に多くの人が魅了され、そこに潜む謎について現在まで語り継がれているのは何故なのか。1974年にあったモナリザ日本公開の騒動もあって絵画に興味が無くてもなんとなくその存在を知っていたがその興味に火をつけたのが、ダン・ブラウンが発表したミステリー小説「ダビンチコード」との出会いだった。この小説の面白さはイエスキリストにまつわる禁断の秘密をルーブル美術館でおきた殺人事件の謎とともに大胆な推理で解明していくところにある。また小説が各登場人物の目線で交互に代わる代わるように展開していくというアメリカドラマ特有の流れで書かれているところが、僕にとってはとても新鮮で、これまでにあじわったことのない展開に夢中にさせられてしまった。

そしてその本を読み終えたときルーブル美術館で本物のモナリザを見たいという夢は僕の第一優先になった。

日本から狭いシートに縛り付けられて約12時間、パリの玄関口シャルルドゴール空港に降りたときは疲労と時差ボケ、そしてこのような本格的な海外旅行は初めてとあっての不安と緊張が重なり僕の精神状態はけっして楽しいというものではなかった。空港からバスでパリの中心街へ入っていく。ヨーロッパ独特の雰囲気をもった街並みとそこに点在する数々の歴史的建造物。何もかもが1枚の絵画になりそうな雰囲気に別世界にもぐりこんだような錯覚を感じた。そう、ここは外国。こんな離れた場所でも人間という生き物が別世界でおなじような生活を営んでいる。外国人の自分を始めて意識した時だった。

そしてホテルに到着。利便性を重視してなるべく中心街近くの小さなホテルを選んだ。部屋は狭いがフランスらしい家具のデザインに満足。一番リラックスできたのは朝食の時間。小さなスペースに用意された場所でパンとコーヒーの簡単な食事がついていたが、そのパンが最高においしく感じた。自分達の部屋からその場所に降りて「ボンジュール」と朝のあいさつをかわす。日本人の団体客がいないので、外国の雰囲気をたっぷり味わうことができた。目的のルーブル美術館へはホテルから歩いて20分。結構遠い距離だが普段とちがう雰囲気を楽しみながら目的地へ向かった。次第に見えてきた巨大な建造物。こんな大きな美術館は見た事が無い。ダビンチコードの世界がこの中にあると思うと胸がドキドキしてきた。

中に入り最初に驚いたのは数メートルはある巨大な壁画と高い天井にも描かれた絵画の数々。その迫力と浮き上がってくるように細部まで描かれた絵は長い時空をこえて僕の目に迫ってきた。

人ごみのなかを進み、徐々にモナリザの前に近づいていく。まさにあの神秘的な表情、静かな微笑みと彼女の背中に続いていく不思議な背景、迷宮の中へ誘い込まれるような感覚を覚えた。長い時間を超えて目の前にしたモナリザ。僕の中にあった空想と現実。本物が放つその光が僕の描いていた空想を吹き飛ばしその真実を訴えかけてくる。普段、絵画を見にいくことなどなかった自分にその素晴らしさと興味深さを十分に教えてくれた。時がたつたびにもう一度訪れたくなるような体験だった。

ひとつの興味や好奇心が夢となって僕をその場所へ連れていってくれる。そんなことがまた起こるだろうか? 僕は再びダン・ブラウンの「オリジン」という新作を読み始めた。ここで描かれている舞台。それはスペイン。この本といっしょに僕はスペインの各所を飛び回り、夢からそれを実現する扉を開けるだろう。

イチロー 引退。

イチロー引退会見前の試合を見て。

イチロー、凱旋。 しかし彼のバットからヒットが生まれることは無かった。安打製造機の名のごとくヒットを大量生産したイチロー。最も印象深いのは2009年、侍ジャパンの一員としてWBCを戦い、最大のライバル韓国と迎えた決勝戦。3-3の同点、延長10回に訪れた勝ち越しチャンスでみごとセンター前にヒットを弾き出した試合だ。あのときの興奮と感動はあまりに大きく、決して忘れることは無い。そして今も変わることのない打席でのルーティンや構えを見ていると、ヒットを打って欲しいという期待が自然と高まってしまう。しかし今、TVの中に映る彼の表情はすごく複雑な、彼が描く理想とその隔たりに悔しさをかみしめているような、そして大きな決断下すための心の準備をしているような、そんな表情に見えた。今夜、きっと彼はその答えをみんなの前で語ってくれるだろう。語り終えたあと晴れ晴れとした彼の明るい表情が見たい。

レジェンド・イチローの話をしておきながら自身の野球少年だった頃の思い出を書くのは気が引ける感じもするが、野球に真摯に取り組む彼の姿を見ていて、書きたい想いが湧いてきた。

中学に入学して部活選び。自信は無かったが僕は野球部を選んだ。あの頃、夕食の時間帯のTV番組と言えばいつもプロ野球中継。自然と目の前の試合中継に夢中になり、そこで活躍する選手たちが僕のあこがれになっていった。あんなユニホームを着て野球をしてみたい。そんな純粋な想いが僕を野球部の入部へ背中を押した。しかし、そんな甘い想いも入部してはかなく消えた。小学校にはない先輩・後輩の上下関係、三年生がすごく大人に見えて怖かった。顧問の監督もかなりの熱血指導で、気持ちが入らない練習や試合をしていると容赦なく鉄拳が飛んできた。春の大会予選で負けてしまった先輩たちを一列に並べてビンタの連発。あれは負けたくないという悔しさを呼び起こさせるための刺激剤だったのだろうか。

野球をやってみて思ったのは、野球とは様々な運動要素が要求されるとても複雑なスポーツで、プレーに対する判断力や勝負の際、相手に負けないだけの精神力や試合に勝つための作戦、チームプレー、様々な事が要求されるとても高度なスポーツだということだ。練習でうまくいかない僕の姿をみて、陸上部の先生が僕に声をかけてくれた。君は陸上部の方が合っているんじゃないかな。今思うと僕もそう思う。相手と向かいあって一対一で勝負する野球より、自分の記録と向き合う陸上競技の方が自分の性格に合っていたと思う。野球部の先生が良く言っていた。野球は野蛮人がやるスポーツだと。気がやさしいお人好しでは活躍はできない。相手を飲んでかかるような気迫を持たないといけないと。確かにそう思った。

人よりずば抜けてうまくなることもなく、素質の無さを痛感しながらの部活生活。しかしやめようとは思わなかった。学校から帰って、バットを振る。休みの日はひとり壁に向かってボールを投げ込む。ひとり描く世界の中で練習に没頭することが好きだった。普段の部活ではエラーをして怒られることもあるが、ひとり練習している時、僕はあこがれのホームランバッターや剛速球を投げ込むピッチャーに自分の姿を重ねていた。

そんなことの継続が僕にチャンスを与えてくれた。3年生の部活が受験のため終了し、新しいレギュラー選手を選ぶための前練習。バッティング投手でマウンドに立った監督相手に僕は強打を連発した。不思議とバットがボールの芯を捉え打球が飛んでいく。そのとき僕は僕自身に対して監督が嬉しそうな顔をしたのを始めてみたような気がした。そして背番号の発表。レギュラー番号の最後「9」で自分の名前が呼ばれた。以外だった。正直実力以上の抜擢だった。レギュラー番号をつけて最初の他校との練習試合。最初のスタメン発表で僕は4番打者で試合に挑む事となった。練習で調子が良かったことはあるが、これは決して実力による選考ではない。ベンチのサインどおりに動いたり、相手投手をけん制したりそんな器用な事はできる訳もなく、ただ来たボールを打てばいいよ。という監督の気遣いだったと思う。

打順がすすみ初打席。ベンチにいる監督の指示を見る余裕もない。相手ピッチャーが高めにボールを投げ込んできた。ストライク、ボールの見分けもなく空振り。初めての試合に僕はすっかり飲まれてしまっていた。練習時の心境とは大違い。これでは相手の思うままだ。最後は変化球で空振り三振。これは勝負なのだ。打ってくださいとばかりに真ん中にボールがくるバッティング練習とは全く違うものだった。

2打席目、3打席目、僕はただ空振りを繰り返すばかりだった。ほろ苦い初試合。その後、2、3試合使ってもらえる事もあったが、その後の試合に出ることは無かった。それでも監督は一度決めた背番号を変えることはなく、部活卒業まで僕は「9」番のユニホームを着てグランドにいた。打てない、守れないそんな野球の難しさを痛感して僕の野球にあこれた3年間は終わりを告げた。

 

再びイチローの話に戻ろう。

今日は土曜日。イチローの引退会見が明けて1日が立った。会見の翌朝、彼は彼自身のホーム、シアトルに向けて飛び立った。一流アスリートの形振りを常に表現し、決して妥協せず、時に厳しい勝負に挑むなかで多くのプレッシャーを跳ね返してきた。そんな彼が引退を決めて臨んだ記者会見、多くのファン、関係者に感謝しながら、そこにはすべてやりきったという充実感とおだやかさ、そしてなんとなく寂しい雰囲気が漂い、本当に終わってしまったというため息が僕の心に残った。

昨年、選手でありながらも試合に出られない環境の中で、今回の開幕戦での活躍を日本のファンに見せることが自分の役割と信じてひたすら孤独な練習を続けてきた彼は、そのおよそ1年の日々を重ね続ける事ができたことを自分の中で誇りに思っている。そう言ってくれた。これまで数々の大きな期待に応えてきたイチローが最後、彼ができる精いっぱいの形でその想いを日本のファンに伝えてくれた。

ありがとう。お疲れ様。彼はまだ休息もしていないのにわがままな僕たちは彼がまた違う世界で僕たちの大きな夢を叶えてくれることを期待してしまうのだ。(終)

宣誓、ブログ書きます。

3月21日。 昼下がり。

東京ではソメイヨシノの開花日が報じられました。3月に入ってすこし寒い時期がありましたが、今週は一気に春の陽気になりました。開花宣言によって季節の移り変りをあらためて認識すると、時の流れの速さを感じます。最近、すっかりブログから離れていたら、もう戻れないかも、そんなあせりも感じたり。日頃、頭のなかではこんな事を思った、あんな事を考えた。たくさんあるはずなのにそれを自分にもわかりやすいように文章にしようとするとなかなかまとまらない、結構難しいものです。

そもそも、最初、私がブログのようなものを書いてみようと思ったのは日頃、ひとつのまとまった話ができるような力をつけたいと思ったからです。例えるとTV番組、松本人志の「すべらない話」で出演者が話しているような事を自分もできるようになりたい。 普段の会話とは一段違って、話の中で自分がその内容をリードしながらひとつの世界を表現し、まわりを楽しませるような話ができたらいいなと。 なぜそう思ったかというとそれは複数の人といるとたいがい私は聞き役でなかなか自分が思ったことをうまく話せないということを常々感じていたからです。 そんな事を感じはじめたらつい、あの人はいつも楽しそうに話ができていいなという人をうらやむ感情がでてきて、普段の飲み会でもなんか楽しいと思えなかったり。 本当はもっと自身を表現して相手を楽しませたい。そんなことを感じるようになりました。 そしてそのような話す力をつけるために、まずいろいろと話を書いてみようと思いました。最初はFacebookを使って文章を書くことを始めました。特に公開はせず保存していました。さあ書こうと思うと本当、何を書いたらいいのか、なかなか出てこない。 ショックでした。 なんか、自分の頭は老化してしまったのではないか?そんな不安を抱いたり。自身と葛藤することが続きました。自分の力の無さを認識すると、逆にこれはどうにか良くしたいと思う。これは私の強みかもしれません。何を書いていいのかわからないので最初は自身の生い立ちのような事から書き始めました。小さいころ、両親が私に話していた事。子供の頃の小さな思い出。そんな事を並べているうちに自分の中にもいろいろなストーリーがあったんだな。という事を再認識できてなんか嬉しくなりました。結構、波瀾万丈かも。そんなうぬぼれやすいところもあって文章を書くと言う事を日常の起動にのせる事ができました。

 

今日は東京で桜の開花宣言

今日を新たなブログのスタートにしたいと思います。

こんな事を宣言して、また冬眠してしまったらはずかしいけど。

ブログを続けたい。

そして、続けるのであれば楽しくなければ。

いろいろな事を探しに出かけ、体験して、ブログにする。

それが普段の会話に繋がって新しい世界が広がっていったら。

 

今日は私のブログやるぞ宣言でした。

 

 

 

 

こんばんは。 東京マラソンが終わって。

こんばんは。

久し振りにブログを書いています。

先週、初めて参加した東京マラソン

38000人のランナーとそれを支える11000人のボランティア。

そして、沿道から精いっぱいの応援をくれた多くの人たち。

 

「東京がひとつになる日」

 

その合言葉のもとで、多くの人たちとの繋がりを実感した大会でした。

 

この体験をもとに書きたい事もいろいろありますが、

大会が終わった事の反動か、仕事も忙しくなってなかなかブログに向かう

気分になれませんでした。

 

出した結果はとても小さくありあふれたものかもしれない。

しかし、大会エントリーに当選した幸運があるにせよ、

描いた夢に対し、線路をひき、その線路を登っていくために、

必要な知識を集め、練習を積み重ねる日々。 

もちろん苦しい事はあるけど、どうやったら楽しめるか工夫してきた。 

レジェンド、高橋尚子さんに会える大会に参加したり。 

そして僕が大会に出かけるとき、そこにはいつも心強い

応援団がいてくれた。 

いつも身近なところにいてくれる僕の応援団。

どの大会も楽しかった。 

ありがとう。

そんな心の支えがあって、

僕は楽しみながらこの夢への道のりを歩んでこれたと思う。

そして今回、その応援は更に繋がり、僕をゴールまで導いてくれた。

みんなありがとう。

なんか、書いているうちに、このブログも続けて行けそうな、

そんな勇気が湧いてきました。

 

今日からまた一歩。

(つづく)

 

 

子供の頃の風景

東京マラソンまであと6日。

先週から本格的な花粉シーズンが到来。

私も鼻づまり、のどの乾燥から痛み。

走るうえで最も大切な呼吸。

回復は間に合うかな。

できるだけ栄養価の高い食事と、睡眠。

今日からは体力補充に努めなくては。

3月3日の天気予報は雨の可能性あり、確率は50%

雨に備えてレインポンチョをアマゾンで注文。

できるだけ疲れを残さないように。

 

子供の頃。

覚えているのは小さな平屋の家。父が勤めていた工場の敷地の中の社員用住居。

なので野球ができるぐらいの広い庭が広がっていた。

父が作ったブランコと鉄棒。なぜならその会社は鉄パイプを作っていたから。

広い草むらが僕たち兄弟の遊び場。

そこには、モンシロチョウやアゲハチョウ、とのさまバッタやカマキリ、

細い水路があって、そこにはフナやザリガニ、カエル、そんな小さな生き物

たちが僕らの友達だった。

小学校までは約、3km、子供にとっては果てしなく続く遠い、通学路。

みんなであっちこっちを寄り道しながら、歩いて通学。

春、夏、秋、冬、毎日、歩く。

雨の日、風の日、熱い日、寒い日。

毎日歩いていたら、そんな道の上にいることが好きになった。

そんなことが今のマラソンに続いているのだと思う。

だからタイム自体は僕にとってあまり重要ではない。

まだ出合ったことのない道と出会って、その先に何があるのかを確かめたいから。

3月3日。

僕はどんな景色と出合うだろうか。